岡崎嘉平太とLT貿易について
- 2023/04/08
- 11:17
蔡英文氏訪米や、台湾でのシェルター増設、子どもまでが訓練に参加するなど、台湾有事に向けて、様々な動きがあります。緊張高まる台湾の今 戦闘訓練受ける小学生も 統一は「当然」「それは中国の片思い」世代間で広がる意識の差 それでも平和願う「砲弾」の包丁づくり4/4(火) 17:30https://news.yahoo.co.jp/articles/4971c6b09ce94f1f8476049439875b9267d176ca?page=2https://news.yahoo.co.jp/articles/4971c6b09ce94f1f8476...
蔡英文氏訪米や、台湾でのシェルター増設、子どもまでが訓練に参加するなど、
台湾有事に向けて、様々な動きがあります。
緊張高まる台湾の今 戦闘訓練受ける小学生も 統一は「当然」「それは中国の片思い」世代間で広がる意識の差 それでも平和願う「砲弾」の包丁づくり
4/4(火) 17:30
https://news.yahoo.co.jp/articles/4971c6b09ce94f1f8476049439875b9267d176ca?page=2
https://news.yahoo.co.jp/articles/4971c6b09ce94f1f8476049439875b9267d176ca?page=3
一方で、世界では、宗派の違いで数百年も争い続けたサウジアラビアがイランと国交正常化するなど、
世界情勢が変化しつつある中、日本も台湾有事の片棒を担がないよう、慎重に外交を続ける必要があります。
私は外交スタンスの参考としてとてもよい記事だと思いましたので、
サイトも探しにくかったので、全文掲載し紹介したいと思います。
こういう、井戸を掘り続けること、決して海外の人に対して威張らないことが大切だと思います。
どうか、特に、日本の為政者、官僚、官邸、政策決定者には読んで頂きたいと思います。
こういう誠実さや姿勢で、外交の土壌をつくったことを、ぜひ、今、リマインドしていただきたいと思います。
英考塾 不在文字、不離文字 というサイトから
2012年09月26日
岡崎嘉平太と周恩来。日本と中国をつないだ二人。
http://eikojuku.seesaa.net/article/294242919.html
「中国には、『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります」
中国の元首相「周恩来」は、そう話し始めた。
時は今から40年前(1972)、戦争により国交を断絶していた日本と中国が、まさに国交を正常化させんとする、その2日前の夜のことである。それはすなわち、歴史的な「日中国交正常化」の前夜であった。
「まもなく田中角栄総理が中国に来られて、日中国交は正常化します。しかし、田中総理が来られたから国交が回復するのではありません。これまでの長い間、困難な時期にも日中間の友好に尽力された方々があったからこそ、正常化という念願が叶うのです」
日中国交正常化という「甘い水」が湧きいでたのは、それまでに汗を流して「井戸」を掘ってくれた人たちがいたからこそである、そう周恩来は言うのであった。
そして、その井戸を掘ってくれたと周恩来が感謝する人物、その一人が「岡崎嘉平太」であった。
◎暗黒の日中関係
「岡崎さんが今の中国と日本の様々な問題を知ったならば、間違いなく心配で、居ても立ってもいられなくなるでしょう」
岡崎嘉平太を心から尊敬するという、ある中国人はそんなことを言った。
岡崎の生きた時代は、日中関係が暗黒の時代。1894年の日清戦争、1937年からの日中戦争(第二次世界大戦)、そして日本の敗戦…。今とは比べようもないほど、日本と中国の関係は暴力的で険悪な状態が続いていた。
そんな交戦・断絶の関係の中、岡崎嘉平太は日中関係の改善に生命を賭け、そしてそれをまさかまさか、成し遂げたのである。
「隣りの国と、いつまでも敵対しているのはおかしい。主義の違う者の悪口を言って、蹴飛ばして済むか、そういうわけにはまいりません。いつかは友好親善をやらなきゃいかん。それは朝になれば東から太陽が昇るのと同じようなことなんです」
そうした信念を持っていた岡崎は、日本人と中国人がお互いを知り合うことが何よりも大切だと考えた。
「まず、相手を知る。とにかく行ってみる。向こうの人と直接会って、話をしてみる。そうすれば、戦争によって『カラカラに乾いてしまった感情』もいずれ戻ってくる」
生涯を通して、岡崎嘉平太は100回以上も中国へ足を運んでいる。まさに死ぬまで中国へ直接行き、中国人と会い、そして話をしてきたのであった。
◎中国人・留学生との出会い
岡崎嘉平太が初めて中国人と接したのは「中学時代」。日本にやって来ていた中国人・留学生との出会いであった。
親友となった中国人留学生の話はじつに面白い。中国の歴史、文化…、岡崎は大いに感銘を受けた。
ところが、戦争の時代は二人の仲を引き裂くことになってしまう。日本が中国と戦争を始めたため、国内には「中国人蔑視」の空気が充満することとなってしまう。
「オレはもう帰る!」
親友の中国人留学生はひどく腹を立てていた。「こんなイヤな日本だったら、来るんじゃなかった! 一日だっていたくない! 岡崎、君だけはオレに親切にしてくれたから、君だけに別れを言いにきた…」
そう告げるや、彼は本当に中国へと帰ってしまった。
多感な年頃であった岡崎は、この出来事に痛く傷ついた。
そして、それが生涯をかけた日中友好の道へと岡崎を駆り立てていく原点ともなった。
◎泥だらけの額
日本と中国が戦争をしていた間、岡崎には中国に8年間ほど暮らしていた時期があった。上海で国際銀行の理事を務めていたのである。
この中国暮らしの間、岡崎嘉平太の息子・彬(あきら)にとって、一生忘れられない出来事が起きる。
その事件は小さな出来事のはずだった。小学生だった彬が、中国人の子供にケガをさせたというのである。オモチャの空気銃で。
それを聞いた父親の嘉平太、とんでもなく怒った。あまり怒られたことのなかった彬は、すっかりビビってしまう。そして、そのまま嘉平太は何軒も何軒もケガをさせた中国人の子供の家を探し歩き、ようやくその子の家を見つけたときには、すっかり夜も更けていた。
いきなり土下座する父親・嘉平太、同じように彬にも土下座をさせて、泥んこの地面にガンガンと頭を打ちつける。
先方の親子はビックリ。日本の偉い人が、名もなき中国人家族に頭を下げまくっているのである。その額を泥だらけにしながら…。
「中国人を差別するな」。それが父親としての嘉平太が身を挺して示したことだった。
のちに敗戦で日本に引き上げることとなった岡崎一家、その後ろ姿に厳しい言葉を投げかける中国人は一人もいなかったという…。
◎貿易構想
1962年夏、岡崎嘉平太は日中間の大規模な「貿易構想」を提案。
「私の狙いは、中国にプラントを売って、その建設のため、日本の技師や労働者が中国に働きに行くことです。長ければ半年、少なくとも3~4ヶ月は向こうの中国人たちと一緒に働けば、戦争によってカラカラに乾いてしまった感情も戻ってくるかもしれません」
その年の秋、その案を携えた岡崎は、緊張しながら中国を訪問する。
その岡崎を待っていたのは、中国の周恩来首相。運命的な二人の出会いである。
周恩来は話し始める。「日清戦争以来、日本は我が国を侵略し、人民を傷つけ苦しめてきました。我々にはその深い恨みがあるのです」
なんとも手厳しい言葉、岡崎の身はますます堅くなる。ところが、周恩来の次の言葉は、岡崎の硬化していた心を一気に解きほぐしてくれた。
「恨みがあるといえども、中国と日本には2000年にわたる『友好の歴史』があります。戦争による不幸な歴史は、わずか数十年に過ぎないのです。我々は恨みを忘れようと努力しています。これからは中日が力を合わせて、アジアを良くしていこうではありませんか」
心打たれ、感極まる岡崎。すると周恩来、いきなり岡崎に問いかける。「岡崎さんはどう思われますか?」と。
岡崎は一瞬あわてるも、すかさず「刎頸の交わり」の故事を引き出した。一時は仲違いしていた二人が、友のためなら死も厭わぬ仲になったという物語である。
大きくうなずく周恩来。内心、岡崎の中国歴史古典に関する造詣の深さに感心し、そして共感していた。
この会談の成功を受け、岡崎の貿易構想は「日中総合貿易に関する覚書(LT貿易)」という形で現実化することとなる(1962年11月)。
日中両国間に正式な国交が結ばれる10年前、その道を切り拓くために、まずこの半官半民の貿易協定が結ばれたのである。
こうして、細いながらも初めて、両国間に和解の道が拓かれることとなった。
◎親友
「周総理と会っていると、偉い人と会って話しているような感じがしないんです。まったく、何十年来の友人と話しているような、そんな感じを醸す人でしたね」
のちに岡崎は周恩来の印象をこう語っている。
ある時、周恩来は岡崎に「歳」を尋ねた。すると、岡崎は自分よりも一つ年上だった。「じゃあ、あなたが兄だ」と周恩来。二人は兄、弟と呼び合うほどに、信頼し合うようになっいったのである。
こうした岡崎嘉平太と周恩来の親密さとは裏腹に、日本国内の状況は依然として厳しいものがあった。
まず、貿易協定に基づいて、日中双方に貿易事務所が置くことが決まったのだが、外務省は人材を派遣することを拒否。当時の日本は台湾の国民政府と外交関係を結んでいたため、岡崎が交渉を進める周恩来の中華人民共和国を国家として承認していなかったのである。
「いくらお国のためだって言ったってね、じゃあ、中国に行かされる奴はどうなるんだ? どうも、あんまり我が省(外務省)の利益にはなんねぇなぁ…」
次に岡崎が向かったのは通産省。やはり難色を示されるが、岡崎は粘る。通産省の渡辺弥栄司(やえじ)は次第に、岡崎の「先見の明」に感心していく。「これは、本物かもしらん…」。
岡崎の情熱にほだされた渡辺。思い切って人材を中国に派遣することを決め、のちに自らもスタッフの一員となる。
こうした貿易事務所に派遣された一人に、高向巌という人がいたが、彼は岡崎が口癖のように言っていた「事務はするな、中国人と触れ合え」という言葉を鮮明に記憶している。
「岡崎先生はね、ただ単に仕事をしてちゃダメだ。中国人と交わる、日本人が中国人を知る。中国人も日本人を知る。仕事での親しさではなく、『人と人としての親しさ』が大事だよ、と言っていました」
◎抗議
ようやく官を味方につけた岡崎嘉平太。しかし、国民からの抗議は激しさを増していった。
「もう、売国奴って罵られるわ、右翼団体から卵は投げつけられるわ、そりゃあ、大変な攻撃でしたね」と岡崎。
自宅にも脅迫電話が絶えず、巨大なトラックが何十台となく家を取り囲む。「岡崎っーー! 出て来ーーーーいっ!!!」と、ボリュームを目一杯にして。
警察官が家に泊まり込み、子どもたちはブルブルと震えていた。
岡崎の妻も覚悟を決めていた。母親としての彼女は怯える子どもたちに、こう諭した。「あんたたち、お父さんがもし急にいなくなっても、誇りを持ちなさい。お国のためになったんだから…」
抗議活動に揉みくちゃにされながら、岡崎は自宅を出て、空港へと向かい続けた。当然、周恩来との会談を重ねるためである。この激烈な抗議活動の中、岡崎はじつに18回も訪中している。
ある時、息子の彬は父親について中国へ行き、初めて周恩来と会った。その時、周恩来は静かに話しかけてきた。
「君のお父さんはね、たぶん自分のことを言わない。でも、私たち中国人は友のために生死をかけるような人を、本当に信頼するんだよ」
周恩来は続ける。「中国にいる私は、すごく安全だ。誰も私を殺そうとなどしない。でも、君のお父さんが日本に帰ると、ちょっと危ないんじゃないかな。それでも君のお父さんは、中日のために命を賭けてきたんだ。だから、私たちは信用しているんだよ」
◎唯一のパイプ
一部に猛烈な抗議を受け続けながらも、両国に設けられた貿易事務所は確実に機能していた。正式な国交がない中、それはあたかも両国の「大使館」であった。
日中間のあらゆる問題は、この貿易事務所を通して話し合われ、新聞やテレビの記者交換なども実現した。記者は常駐するようになり、日本人が中国を知り、中国人が日本を知るための貴重な情報を彼らが発信することになる。
時は共産主義下の中国、その情報は現在の北朝鮮のように、闇の中にあった中、少しずつその様子を日本人たちが伝え聞くようになっていた。
ところが、日中をつなぐこの唯一のパイプは、時の佐藤栄作政権により叩き折られそうになる。
周恩来の中華人民共和国と敵対する「台湾」を訪問した佐藤総理は、同じく周恩来と敵対するアメリカとともに、「中華人民共和国が『軍事的な脅威』である」との共同声明を発表。
中華人民共和国側が、それを「明確な敵視政策」と受け取り、日本に対して猛反発してきたのである。
◎粘り
時悪く、岡崎の貿易協定は、その5年契約が期限切れを迎え、新たな更新を必要としていた。
その交渉のテーブルは当然穏やかではない。中国側は佐藤政権を痛烈に批判。その誤りを文書で認めない限り、貿易協定の更新はできないと迫ってきたのである。
「決裂」だけは避けなければならないと心に決めていた岡崎嘉平太。粘りに粘り、議論に議論を重ねる。
その岡崎の胸中には、母の言葉が蘇っていた。「自分が譲れば事が丸く収まるときには、譲るものだよ」。子供時分の岡崎は「けんか太郎」、生一本で怒りっぽかった。母はそんな岡崎を心配し、繰り返し繰り返し「譲ること」を諭していたのである。
岡崎とともに交渉のテーブルについていた、田川誠一議員はこう振り返る。
「『切って帰っちゃえ!』って思うことが、あたしらには何度もありましたよ。その点、岡崎さんは練れてましたね。だから、大事なことは全部、岡崎さんにお任せしてました」
このパイプがいったん切れたら、二度とつなげられない、と岡崎は思っており、決して切ってなるものかと、粘り続けたのである。
その末に、ついに中国側も折れた。
過激な表現を柔らかく改めることにしぶしぶ同意し、妥協案を認めたのである。そして、交渉から一ヶ月後、なんとか日中覚書貿易という新たな協定を締結するに至る。
岡崎が身を挺して守った貿易協定は、辛うじて断絶という最悪の事態だけは避けられたのである。
しかし帰国後、岡崎は「中国に屈服した」という痛烈な批判にさらされることにもなる。
◎新たな風
逆風につぐ逆風の岡崎嘉平太。
その風向きが変わるのは1972年。最初の貿易協定から10年たった後のことであった。
この年、アメリカのニクソン大統領は中国を訪問。中華人民共和国は「国連」への加盟を認められ、国際社会への復帰を果たす。
このアメリカの政策変更を受け、当然日本もその潮目に乗ろうとする。しかし、日本政府には「ある懸念」があった。もし、中国との国交を回復しようとした場合、莫大な「戦争賠償金」を請求されるのではないか、という不安である。
日中唯一の窓口となっていた岡崎は、周恩来との会談の席上、戦争賠償金についての話を切り出す。
周恩来いわく、「今、日本に軍部があれば、我々は賠償金を請求したでしょう。しかし、もう日本に軍部はありません。そんな時、もし、我々が賠償金を請求すれば、同じく軍部に苦しんだ日本国民に負担を背負わせてしまうことになります。ですから、私は賠償金は取らないほうがいいと思います」
中国が国交正常化の条件として、戦争賠償金を持ち出すことはないという岡崎の貴重な情報は、日本を一気に正常化への道へと押し進めた。
1972年7月、中国で不人気が極まっていた佐藤内閣に代わり、田中角栄が新政権を発足させた。そして、その2ヶ月後には、中国への訪問が決まったのである。
◎ささやかな食事会
もはや、日中国交正常化は時間の問題であった。岡崎も自分の役割を一つ終えたと感じ、自宅で静かな日々を送っていた。
すると、そこに一本の電話がかかってきた。それは周恩来の命を受けた金光貞治からの電話であった。周恩来は、日中国交正常化が決まるその日に岡崎が招かれていないことに気づき、すぐにでも北京に来て欲しいと金光に頼んだのである。
電話口の岡崎、静かにゆっくりと「あぁ……、恐縮です……、恐縮です……」とだけ繰り返した。この短い言葉には、岡崎の喜びが噛みしめられていた…。
田中角栄総理が中国を訪問する2日前、周恩来は岡崎をもてなすために、一卓だけのささやかな食事会を開いた。
一言話したいと立ち上がる周恩来。「中国には『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります」
「まもなく田中総理は中国に来られ、国交は正常化します。しかし、その井戸を掘ったのは岡崎さん、あなたです」
岡崎嘉平太と周恩来が初めて出会ってから、およそ10年。
岡崎が日本から引っ張ってきた「細い糸」は、いままさに、国と国とを結ぶ「太い絆」となって結実しようとしていた。
1972年9月29日、戦後27年目にして、ついに日本は中国と正式な国交を開くに至る。
◎友の死
それからわずか4年後、周恩来は78年の生涯を閉じる。死因となったガンが発見されたのは、奇しくも日中国交正常化が叶ったその年であった。
日本でその悲報を知った岡崎。その時からずっと口をきかなくなり、食事もノドを通らなくなってしまう。
「お父さん、かわいそうだった…、かわいそうだったよ…」、そんな言葉を息子の彬さんは母親から聞いた。そんな言葉を今まで聞いたこともなかったのに…。
しばらくして、岡崎嘉平太は周恩来の故郷、江蘇省淮安市の生家を訪れる。
その生家の一画にあった「井戸」。その井戸端で岡崎は涙をためていた。ずっと佇んだまま…。
「周総理、あなたこそ日中友好の井戸を掘った人だ…。今わたしたちが飲んでいる日中友好という水は、あなたが掘った井戸から湧いてきた水なんです…」
◎雨中嵐山
日中国交正常化が成った時、周恩来は「これからもずっと中国に来てください」と岡崎に声をかけていた。
その声に応えるように、岡崎は老齢になっても精力的に中国を訪れ続けた。そして、中国へ行くときは決まって「初めて中国に行く人」を日本から連れて行った。それは、少しでも多くの日本人に中国人を知ってもらいたい、という願いでもあった。
岡崎自身、中学時代に中国人を知り合えたことが、中国人を好きになるキッカケとなったこともあり、岡崎は積極的に若者たちの交流を後押しした。北京にある日中交流センター生んだのも岡崎であり、今まで何百人、何千人という中国人留学生が日本に行く橋渡しとなってきた。
周恩来その人も、若き日には2年間ほど日本に留学している。「雨中嵐山」という詩は、周恩来が日本を去る時に詠んだものである。
~雨濛々として 霧深く
陽の光 雲間より射して いよいよなまめかし
世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
模糊の中に たまさかに一点の光明を見出せば
真にいよいよなまめかし~
この若き日の詩は、その後の日中関係を示唆しているかのようである。
雨が朦々と霧が深く、前途もなかった日中関係。その厚く暗い雲間から差し込んだ一条の光明。そこから真理が現れ、ついには国交正常化へと道は進む…。
◎中国古来の徳
周恩来と会ったアメリカ大統領ニクソンは、「上品で、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物」と周恩来を賞賛している。
あるジャーナリストは「周恩来は中国古来の徳としての優雅さ、礼儀正しさ、謙虚さを体現していた」と書いた。
周恩来の後を継いだ鄧小平は、「彼は同志と人民から尊敬された人物である」と語っている。
ある時、北京の料理店で食事をしていた周恩来は、店員の間で起こった「揉め事」の仲裁を買って出た。
双方の言い分を十分に聞いた周恩来、「どっちも悪い」と断を下した。「なんでだよ!」と気色ばむ店員。どちらも自分が悪いなどとは思っていない。
「お前さんたち、二人ともお客さんに料理を出すのを忘れているじゃないか」と周恩来。店員としての本分を忘れたことを気づかせたのであった。
この逸話もまた、のちの日中関係の修復を示唆しているかのようである。
日本も中国も、政治闘争に明け暮れている時代があった。しかし、政治家としての本分は? それは国同士を争わせることではなく、国民を食わせることではなかったか。
周恩来の英断は、その本質の筋に沿うことを決して忘れてはいなかったのである。
◎100回くらいでは分からない
1989年、岡崎嘉平太の訪中はじつに100回を数えた。
「中国のような奥深い国は、100回くらいでは分からない」。そう言う岡崎は、さも嬉しそうだった。
そして、その3ヶ月後、岡崎嘉平太は息を引き取る。92年の生涯であった。その棺には敬愛する周恩来お写真が添えられたという。
故郷の岡山県に眠る岡崎。その墓へお参りする中国人留学生は、今でも後を絶たない。
「素直な若いときにこそ、お互い知り合い、交流することが大切だ」と考えていた岡崎。彼の渡した日中交流の橋を行き来した留学生は数知れない。
岡崎奨学金で日本へ来た中国人留学生の一人は語る。「私たちのような普通の人の交流をもっと広げていきたいです。お互いが、どういう生活をしているのか、どんな違いがあるのか、それを知ることが大切だと思います」
◎井戸の水
中国に留学する日本人も、周恩来の生家を訪ね、その井戸を見る。
日中をつないだ井戸。それを掘った周恩来と岡崎嘉平太。そして、そこから湧いて出た水が、戦争でカラカラになっていた両国民の心を潤した。
「子どもたちの世代も、そして次の世代も、この水を枯らしてはいけない」と岡崎は常々言っていた。
「信は縦糸、愛は横糸、織りなせ人の世を美しく」
これは岡崎嘉平太の言葉である。
「この機織り(はたおり)作業の素晴らしさに目覚めるとき、新しい社会への道は、決して苦労などではなく、楽しい発見の営みになっていくのです。
より良い日本、より良いアジアの錦織をあとに続く人々に遺すこと、それが私の心からの願いなのです」
海を挟んで国境を接する日中両国、時には風波も立つだろう。
それでも、両国2000年の歴史のその大半が平和的であったことは、偉大なる事実である。
それは岡崎嘉平太や周恩来のような人々が、永い歴史に点在してくれていた、そのお陰でもあるのだろう…。
時おり、埋まりかける井戸。
それをますます埋めようとする人々もいるかもしれない。それでも、岡崎嘉平太は掘り続けた。上から泥をぶっかけられても…。
あれから40年。
今の日中関係に、岡崎ならば何を想い、何を成すのであろう?
この記事は、政治経済担当の知念敦による情報紹介です。
台湾有事に向けて、様々な動きがあります。
緊張高まる台湾の今 戦闘訓練受ける小学生も 統一は「当然」「それは中国の片思い」世代間で広がる意識の差 それでも平和願う「砲弾」の包丁づくり
4/4(火) 17:30
https://news.yahoo.co.jp/articles/4971c6b09ce94f1f8476049439875b9267d176ca?page=2
https://news.yahoo.co.jp/articles/4971c6b09ce94f1f8476049439875b9267d176ca?page=3
一方で、世界では、宗派の違いで数百年も争い続けたサウジアラビアがイランと国交正常化するなど、
世界情勢が変化しつつある中、日本も台湾有事の片棒を担がないよう、慎重に外交を続ける必要があります。
私は外交スタンスの参考としてとてもよい記事だと思いましたので、
サイトも探しにくかったので、全文掲載し紹介したいと思います。
こういう、井戸を掘り続けること、決して海外の人に対して威張らないことが大切だと思います。
どうか、特に、日本の為政者、官僚、官邸、政策決定者には読んで頂きたいと思います。
こういう誠実さや姿勢で、外交の土壌をつくったことを、ぜひ、今、リマインドしていただきたいと思います。
英考塾 不在文字、不離文字 というサイトから
2012年09月26日
岡崎嘉平太と周恩来。日本と中国をつないだ二人。
http://eikojuku.seesaa.net/article/294242919.html
「中国には、『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります」
中国の元首相「周恩来」は、そう話し始めた。
時は今から40年前(1972)、戦争により国交を断絶していた日本と中国が、まさに国交を正常化させんとする、その2日前の夜のことである。それはすなわち、歴史的な「日中国交正常化」の前夜であった。
「まもなく田中角栄総理が中国に来られて、日中国交は正常化します。しかし、田中総理が来られたから国交が回復するのではありません。これまでの長い間、困難な時期にも日中間の友好に尽力された方々があったからこそ、正常化という念願が叶うのです」
日中国交正常化という「甘い水」が湧きいでたのは、それまでに汗を流して「井戸」を掘ってくれた人たちがいたからこそである、そう周恩来は言うのであった。
そして、その井戸を掘ってくれたと周恩来が感謝する人物、その一人が「岡崎嘉平太」であった。
◎暗黒の日中関係
「岡崎さんが今の中国と日本の様々な問題を知ったならば、間違いなく心配で、居ても立ってもいられなくなるでしょう」
岡崎嘉平太を心から尊敬するという、ある中国人はそんなことを言った。
岡崎の生きた時代は、日中関係が暗黒の時代。1894年の日清戦争、1937年からの日中戦争(第二次世界大戦)、そして日本の敗戦…。今とは比べようもないほど、日本と中国の関係は暴力的で険悪な状態が続いていた。
そんな交戦・断絶の関係の中、岡崎嘉平太は日中関係の改善に生命を賭け、そしてそれをまさかまさか、成し遂げたのである。
「隣りの国と、いつまでも敵対しているのはおかしい。主義の違う者の悪口を言って、蹴飛ばして済むか、そういうわけにはまいりません。いつかは友好親善をやらなきゃいかん。それは朝になれば東から太陽が昇るのと同じようなことなんです」
そうした信念を持っていた岡崎は、日本人と中国人がお互いを知り合うことが何よりも大切だと考えた。
「まず、相手を知る。とにかく行ってみる。向こうの人と直接会って、話をしてみる。そうすれば、戦争によって『カラカラに乾いてしまった感情』もいずれ戻ってくる」
生涯を通して、岡崎嘉平太は100回以上も中国へ足を運んでいる。まさに死ぬまで中国へ直接行き、中国人と会い、そして話をしてきたのであった。
◎中国人・留学生との出会い
岡崎嘉平太が初めて中国人と接したのは「中学時代」。日本にやって来ていた中国人・留学生との出会いであった。
親友となった中国人留学生の話はじつに面白い。中国の歴史、文化…、岡崎は大いに感銘を受けた。
ところが、戦争の時代は二人の仲を引き裂くことになってしまう。日本が中国と戦争を始めたため、国内には「中国人蔑視」の空気が充満することとなってしまう。
「オレはもう帰る!」
親友の中国人留学生はひどく腹を立てていた。「こんなイヤな日本だったら、来るんじゃなかった! 一日だっていたくない! 岡崎、君だけはオレに親切にしてくれたから、君だけに別れを言いにきた…」
そう告げるや、彼は本当に中国へと帰ってしまった。
多感な年頃であった岡崎は、この出来事に痛く傷ついた。
そして、それが生涯をかけた日中友好の道へと岡崎を駆り立てていく原点ともなった。
◎泥だらけの額
日本と中国が戦争をしていた間、岡崎には中国に8年間ほど暮らしていた時期があった。上海で国際銀行の理事を務めていたのである。
この中国暮らしの間、岡崎嘉平太の息子・彬(あきら)にとって、一生忘れられない出来事が起きる。
その事件は小さな出来事のはずだった。小学生だった彬が、中国人の子供にケガをさせたというのである。オモチャの空気銃で。
それを聞いた父親の嘉平太、とんでもなく怒った。あまり怒られたことのなかった彬は、すっかりビビってしまう。そして、そのまま嘉平太は何軒も何軒もケガをさせた中国人の子供の家を探し歩き、ようやくその子の家を見つけたときには、すっかり夜も更けていた。
いきなり土下座する父親・嘉平太、同じように彬にも土下座をさせて、泥んこの地面にガンガンと頭を打ちつける。
先方の親子はビックリ。日本の偉い人が、名もなき中国人家族に頭を下げまくっているのである。その額を泥だらけにしながら…。
「中国人を差別するな」。それが父親としての嘉平太が身を挺して示したことだった。
のちに敗戦で日本に引き上げることとなった岡崎一家、その後ろ姿に厳しい言葉を投げかける中国人は一人もいなかったという…。
◎貿易構想
1962年夏、岡崎嘉平太は日中間の大規模な「貿易構想」を提案。
「私の狙いは、中国にプラントを売って、その建設のため、日本の技師や労働者が中国に働きに行くことです。長ければ半年、少なくとも3~4ヶ月は向こうの中国人たちと一緒に働けば、戦争によってカラカラに乾いてしまった感情も戻ってくるかもしれません」
その年の秋、その案を携えた岡崎は、緊張しながら中国を訪問する。
その岡崎を待っていたのは、中国の周恩来首相。運命的な二人の出会いである。
周恩来は話し始める。「日清戦争以来、日本は我が国を侵略し、人民を傷つけ苦しめてきました。我々にはその深い恨みがあるのです」
なんとも手厳しい言葉、岡崎の身はますます堅くなる。ところが、周恩来の次の言葉は、岡崎の硬化していた心を一気に解きほぐしてくれた。
「恨みがあるといえども、中国と日本には2000年にわたる『友好の歴史』があります。戦争による不幸な歴史は、わずか数十年に過ぎないのです。我々は恨みを忘れようと努力しています。これからは中日が力を合わせて、アジアを良くしていこうではありませんか」
心打たれ、感極まる岡崎。すると周恩来、いきなり岡崎に問いかける。「岡崎さんはどう思われますか?」と。
岡崎は一瞬あわてるも、すかさず「刎頸の交わり」の故事を引き出した。一時は仲違いしていた二人が、友のためなら死も厭わぬ仲になったという物語である。
大きくうなずく周恩来。内心、岡崎の中国歴史古典に関する造詣の深さに感心し、そして共感していた。
この会談の成功を受け、岡崎の貿易構想は「日中総合貿易に関する覚書(LT貿易)」という形で現実化することとなる(1962年11月)。
日中両国間に正式な国交が結ばれる10年前、その道を切り拓くために、まずこの半官半民の貿易協定が結ばれたのである。
こうして、細いながらも初めて、両国間に和解の道が拓かれることとなった。
◎親友
「周総理と会っていると、偉い人と会って話しているような感じがしないんです。まったく、何十年来の友人と話しているような、そんな感じを醸す人でしたね」
のちに岡崎は周恩来の印象をこう語っている。
ある時、周恩来は岡崎に「歳」を尋ねた。すると、岡崎は自分よりも一つ年上だった。「じゃあ、あなたが兄だ」と周恩来。二人は兄、弟と呼び合うほどに、信頼し合うようになっいったのである。
こうした岡崎嘉平太と周恩来の親密さとは裏腹に、日本国内の状況は依然として厳しいものがあった。
まず、貿易協定に基づいて、日中双方に貿易事務所が置くことが決まったのだが、外務省は人材を派遣することを拒否。当時の日本は台湾の国民政府と外交関係を結んでいたため、岡崎が交渉を進める周恩来の中華人民共和国を国家として承認していなかったのである。
「いくらお国のためだって言ったってね、じゃあ、中国に行かされる奴はどうなるんだ? どうも、あんまり我が省(外務省)の利益にはなんねぇなぁ…」
次に岡崎が向かったのは通産省。やはり難色を示されるが、岡崎は粘る。通産省の渡辺弥栄司(やえじ)は次第に、岡崎の「先見の明」に感心していく。「これは、本物かもしらん…」。
岡崎の情熱にほだされた渡辺。思い切って人材を中国に派遣することを決め、のちに自らもスタッフの一員となる。
こうした貿易事務所に派遣された一人に、高向巌という人がいたが、彼は岡崎が口癖のように言っていた「事務はするな、中国人と触れ合え」という言葉を鮮明に記憶している。
「岡崎先生はね、ただ単に仕事をしてちゃダメだ。中国人と交わる、日本人が中国人を知る。中国人も日本人を知る。仕事での親しさではなく、『人と人としての親しさ』が大事だよ、と言っていました」
◎抗議
ようやく官を味方につけた岡崎嘉平太。しかし、国民からの抗議は激しさを増していった。
「もう、売国奴って罵られるわ、右翼団体から卵は投げつけられるわ、そりゃあ、大変な攻撃でしたね」と岡崎。
自宅にも脅迫電話が絶えず、巨大なトラックが何十台となく家を取り囲む。「岡崎っーー! 出て来ーーーーいっ!!!」と、ボリュームを目一杯にして。
警察官が家に泊まり込み、子どもたちはブルブルと震えていた。
岡崎の妻も覚悟を決めていた。母親としての彼女は怯える子どもたちに、こう諭した。「あんたたち、お父さんがもし急にいなくなっても、誇りを持ちなさい。お国のためになったんだから…」
抗議活動に揉みくちゃにされながら、岡崎は自宅を出て、空港へと向かい続けた。当然、周恩来との会談を重ねるためである。この激烈な抗議活動の中、岡崎はじつに18回も訪中している。
ある時、息子の彬は父親について中国へ行き、初めて周恩来と会った。その時、周恩来は静かに話しかけてきた。
「君のお父さんはね、たぶん自分のことを言わない。でも、私たち中国人は友のために生死をかけるような人を、本当に信頼するんだよ」
周恩来は続ける。「中国にいる私は、すごく安全だ。誰も私を殺そうとなどしない。でも、君のお父さんが日本に帰ると、ちょっと危ないんじゃないかな。それでも君のお父さんは、中日のために命を賭けてきたんだ。だから、私たちは信用しているんだよ」
◎唯一のパイプ
一部に猛烈な抗議を受け続けながらも、両国に設けられた貿易事務所は確実に機能していた。正式な国交がない中、それはあたかも両国の「大使館」であった。
日中間のあらゆる問題は、この貿易事務所を通して話し合われ、新聞やテレビの記者交換なども実現した。記者は常駐するようになり、日本人が中国を知り、中国人が日本を知るための貴重な情報を彼らが発信することになる。
時は共産主義下の中国、その情報は現在の北朝鮮のように、闇の中にあった中、少しずつその様子を日本人たちが伝え聞くようになっていた。
ところが、日中をつなぐこの唯一のパイプは、時の佐藤栄作政権により叩き折られそうになる。
周恩来の中華人民共和国と敵対する「台湾」を訪問した佐藤総理は、同じく周恩来と敵対するアメリカとともに、「中華人民共和国が『軍事的な脅威』である」との共同声明を発表。
中華人民共和国側が、それを「明確な敵視政策」と受け取り、日本に対して猛反発してきたのである。
◎粘り
時悪く、岡崎の貿易協定は、その5年契約が期限切れを迎え、新たな更新を必要としていた。
その交渉のテーブルは当然穏やかではない。中国側は佐藤政権を痛烈に批判。その誤りを文書で認めない限り、貿易協定の更新はできないと迫ってきたのである。
「決裂」だけは避けなければならないと心に決めていた岡崎嘉平太。粘りに粘り、議論に議論を重ねる。
その岡崎の胸中には、母の言葉が蘇っていた。「自分が譲れば事が丸く収まるときには、譲るものだよ」。子供時分の岡崎は「けんか太郎」、生一本で怒りっぽかった。母はそんな岡崎を心配し、繰り返し繰り返し「譲ること」を諭していたのである。
岡崎とともに交渉のテーブルについていた、田川誠一議員はこう振り返る。
「『切って帰っちゃえ!』って思うことが、あたしらには何度もありましたよ。その点、岡崎さんは練れてましたね。だから、大事なことは全部、岡崎さんにお任せしてました」
このパイプがいったん切れたら、二度とつなげられない、と岡崎は思っており、決して切ってなるものかと、粘り続けたのである。
その末に、ついに中国側も折れた。
過激な表現を柔らかく改めることにしぶしぶ同意し、妥協案を認めたのである。そして、交渉から一ヶ月後、なんとか日中覚書貿易という新たな協定を締結するに至る。
岡崎が身を挺して守った貿易協定は、辛うじて断絶という最悪の事態だけは避けられたのである。
しかし帰国後、岡崎は「中国に屈服した」という痛烈な批判にさらされることにもなる。
◎新たな風
逆風につぐ逆風の岡崎嘉平太。
その風向きが変わるのは1972年。最初の貿易協定から10年たった後のことであった。
この年、アメリカのニクソン大統領は中国を訪問。中華人民共和国は「国連」への加盟を認められ、国際社会への復帰を果たす。
このアメリカの政策変更を受け、当然日本もその潮目に乗ろうとする。しかし、日本政府には「ある懸念」があった。もし、中国との国交を回復しようとした場合、莫大な「戦争賠償金」を請求されるのではないか、という不安である。
日中唯一の窓口となっていた岡崎は、周恩来との会談の席上、戦争賠償金についての話を切り出す。
周恩来いわく、「今、日本に軍部があれば、我々は賠償金を請求したでしょう。しかし、もう日本に軍部はありません。そんな時、もし、我々が賠償金を請求すれば、同じく軍部に苦しんだ日本国民に負担を背負わせてしまうことになります。ですから、私は賠償金は取らないほうがいいと思います」
中国が国交正常化の条件として、戦争賠償金を持ち出すことはないという岡崎の貴重な情報は、日本を一気に正常化への道へと押し進めた。
1972年7月、中国で不人気が極まっていた佐藤内閣に代わり、田中角栄が新政権を発足させた。そして、その2ヶ月後には、中国への訪問が決まったのである。
◎ささやかな食事会
もはや、日中国交正常化は時間の問題であった。岡崎も自分の役割を一つ終えたと感じ、自宅で静かな日々を送っていた。
すると、そこに一本の電話がかかってきた。それは周恩来の命を受けた金光貞治からの電話であった。周恩来は、日中国交正常化が決まるその日に岡崎が招かれていないことに気づき、すぐにでも北京に来て欲しいと金光に頼んだのである。
電話口の岡崎、静かにゆっくりと「あぁ……、恐縮です……、恐縮です……」とだけ繰り返した。この短い言葉には、岡崎の喜びが噛みしめられていた…。
田中角栄総理が中国を訪問する2日前、周恩来は岡崎をもてなすために、一卓だけのささやかな食事会を開いた。
一言話したいと立ち上がる周恩来。「中国には『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』という言葉があります」
「まもなく田中総理は中国に来られ、国交は正常化します。しかし、その井戸を掘ったのは岡崎さん、あなたです」
岡崎嘉平太と周恩来が初めて出会ってから、およそ10年。
岡崎が日本から引っ張ってきた「細い糸」は、いままさに、国と国とを結ぶ「太い絆」となって結実しようとしていた。
1972年9月29日、戦後27年目にして、ついに日本は中国と正式な国交を開くに至る。
◎友の死
それからわずか4年後、周恩来は78年の生涯を閉じる。死因となったガンが発見されたのは、奇しくも日中国交正常化が叶ったその年であった。
日本でその悲報を知った岡崎。その時からずっと口をきかなくなり、食事もノドを通らなくなってしまう。
「お父さん、かわいそうだった…、かわいそうだったよ…」、そんな言葉を息子の彬さんは母親から聞いた。そんな言葉を今まで聞いたこともなかったのに…。
しばらくして、岡崎嘉平太は周恩来の故郷、江蘇省淮安市の生家を訪れる。
その生家の一画にあった「井戸」。その井戸端で岡崎は涙をためていた。ずっと佇んだまま…。
「周総理、あなたこそ日中友好の井戸を掘った人だ…。今わたしたちが飲んでいる日中友好という水は、あなたが掘った井戸から湧いてきた水なんです…」
◎雨中嵐山
日中国交正常化が成った時、周恩来は「これからもずっと中国に来てください」と岡崎に声をかけていた。
その声に応えるように、岡崎は老齢になっても精力的に中国を訪れ続けた。そして、中国へ行くときは決まって「初めて中国に行く人」を日本から連れて行った。それは、少しでも多くの日本人に中国人を知ってもらいたい、という願いでもあった。
岡崎自身、中学時代に中国人を知り合えたことが、中国人を好きになるキッカケとなったこともあり、岡崎は積極的に若者たちの交流を後押しした。北京にある日中交流センター生んだのも岡崎であり、今まで何百人、何千人という中国人留学生が日本に行く橋渡しとなってきた。
周恩来その人も、若き日には2年間ほど日本に留学している。「雨中嵐山」という詩は、周恩来が日本を去る時に詠んだものである。
~雨濛々として 霧深く
陽の光 雲間より射して いよいよなまめかし
世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
模糊の中に たまさかに一点の光明を見出せば
真にいよいよなまめかし~
この若き日の詩は、その後の日中関係を示唆しているかのようである。
雨が朦々と霧が深く、前途もなかった日中関係。その厚く暗い雲間から差し込んだ一条の光明。そこから真理が現れ、ついには国交正常化へと道は進む…。
◎中国古来の徳
周恩来と会ったアメリカ大統領ニクソンは、「上品で、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物」と周恩来を賞賛している。
あるジャーナリストは「周恩来は中国古来の徳としての優雅さ、礼儀正しさ、謙虚さを体現していた」と書いた。
周恩来の後を継いだ鄧小平は、「彼は同志と人民から尊敬された人物である」と語っている。
ある時、北京の料理店で食事をしていた周恩来は、店員の間で起こった「揉め事」の仲裁を買って出た。
双方の言い分を十分に聞いた周恩来、「どっちも悪い」と断を下した。「なんでだよ!」と気色ばむ店員。どちらも自分が悪いなどとは思っていない。
「お前さんたち、二人ともお客さんに料理を出すのを忘れているじゃないか」と周恩来。店員としての本分を忘れたことを気づかせたのであった。
この逸話もまた、のちの日中関係の修復を示唆しているかのようである。
日本も中国も、政治闘争に明け暮れている時代があった。しかし、政治家としての本分は? それは国同士を争わせることではなく、国民を食わせることではなかったか。
周恩来の英断は、その本質の筋に沿うことを決して忘れてはいなかったのである。
◎100回くらいでは分からない
1989年、岡崎嘉平太の訪中はじつに100回を数えた。
「中国のような奥深い国は、100回くらいでは分からない」。そう言う岡崎は、さも嬉しそうだった。
そして、その3ヶ月後、岡崎嘉平太は息を引き取る。92年の生涯であった。その棺には敬愛する周恩来お写真が添えられたという。
故郷の岡山県に眠る岡崎。その墓へお参りする中国人留学生は、今でも後を絶たない。
「素直な若いときにこそ、お互い知り合い、交流することが大切だ」と考えていた岡崎。彼の渡した日中交流の橋を行き来した留学生は数知れない。
岡崎奨学金で日本へ来た中国人留学生の一人は語る。「私たちのような普通の人の交流をもっと広げていきたいです。お互いが、どういう生活をしているのか、どんな違いがあるのか、それを知ることが大切だと思います」
◎井戸の水
中国に留学する日本人も、周恩来の生家を訪ね、その井戸を見る。
日中をつないだ井戸。それを掘った周恩来と岡崎嘉平太。そして、そこから湧いて出た水が、戦争でカラカラになっていた両国民の心を潤した。
「子どもたちの世代も、そして次の世代も、この水を枯らしてはいけない」と岡崎は常々言っていた。
「信は縦糸、愛は横糸、織りなせ人の世を美しく」
これは岡崎嘉平太の言葉である。
「この機織り(はたおり)作業の素晴らしさに目覚めるとき、新しい社会への道は、決して苦労などではなく、楽しい発見の営みになっていくのです。
より良い日本、より良いアジアの錦織をあとに続く人々に遺すこと、それが私の心からの願いなのです」
海を挟んで国境を接する日中両国、時には風波も立つだろう。
それでも、両国2000年の歴史のその大半が平和的であったことは、偉大なる事実である。
それは岡崎嘉平太や周恩来のような人々が、永い歴史に点在してくれていた、そのお陰でもあるのだろう…。
時おり、埋まりかける井戸。
それをますます埋めようとする人々もいるかもしれない。それでも、岡崎嘉平太は掘り続けた。上から泥をぶっかけられても…。
あれから40年。
今の日中関係に、岡崎ならば何を想い、何を成すのであろう?
この記事は、政治経済担当の知念敦による情報紹介です。
今後DX(デジタルトランスフォーメーション)と言われて財務省・総務省などで推進されつつある、デジタル化、グレートリセットの内容について
- 2023/03/26
- 09:19
WBCで日本がこのタイミングで優勝したそうですが、その後、大谷翔平さんが、わざわざ米国大使館のラーム・エマニュエル氏を訪問したそうです。この意味を深く考えることが大切です。書きたくないですが、アメリカ大使が呼び出して、活用しているということだと考えます。大谷翔平が東京で突然訪れた場所にネット騒然「名古屋入り前の寄り道が…凄っ!」2023.03.03https://the-ans.jp/news/305186/今回の放送権についても、TBS...
WBCで日本がこのタイミングで優勝したそうですが、その後、大谷翔平さんが、わざわざ米国大使館のラーム・エマニュエル氏を訪問したそうです。この意味を深く考えることが大切です。
書きたくないですが、アメリカ大使が呼び出して、活用しているということだと考えます。
大谷翔平が東京で突然訪れた場所にネット騒然「名古屋入り前の寄り道が…凄っ!」
2023.03.03
https://the-ans.jp/news/305186/
今回の放送権についても、TBSが放送権を得るのに40億円の費用がかかったそうです。
報道でも30億と書かれています。
WBC放映権 次回はさらに高騰か 地上波が撤退する可能性も 3/24(金) 5:09
https://news.yahoo.co.jp/articles/955da27c8c60c39e7c6a35636e7c5c9fc3477c07
皆が喜ぶ中、書きたくないですが、このイベントが行われる中で、また、日本が扇動され、米国に武器や資金が流れる動きが作られると考えます。
岸田首相は、先日、ウクライナ訪問し、殺傷能力のない装備品でとどまったようですが、今後の支援を約束させられました。(この間岸田首相は、ずっと嫌そうな顔をしていました。エマニュエル氏や、軍需産業系統から相当な圧力があったと考えます。国民がこれらを知ることが大切です。)
ヨーロッパでさえ、ウクライナに支援を出し渋る中、ヨーロッパ諸国で、燃料価格が4倍に跳ね上がり、各地で反米(反戦)デモが起こっています。これが日本人も納得するまともな動きではないでしょうか。なぜこれが日本で報道されないのか。野球よりも大事ではないか。
日本は、もっと欧州の識者、国民と連携すべきではないでしょうか。
「戦争やめ国民の生活救え!」 欧州各地でEU、NATO抗議デモが多発 燃料高騰で「凍える冬」が目前に 2022.10.24 長周新聞
https://okagesamadesu.net/many-demonstrations-calling-for-support-of-life-in-europe
今、国民生活に何が起ころうとしているか、ウオッチした方がよいと考えます。
安倍首相の祖父の岸信介は、新安保を国会承認する際(変更内容は日米事前協議が入り悪くはないですが)、国民の最大規模の反対デモが起こりましたが、それを見て、
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもの通りである、私には声なき声が聞こえる」と、後楽園球場には人がいっぱいいるから、国民は安保改正を気にしていないという発言をしています。
この考えには、下記3S政策的な考えがあると思います。
3D,5R、3S政策は、主にGHQが日本占領下で行われています。
3D,5R,3S政策関連情報 https://kig-8.com/3s/
・3R Revenge[復讐]、Reform[改組]、Revive[復活]
・5D Disarmament[武装解除]、Demilitarization[軍国主義の排除]、Disindustrialization[工業生産力破壊]、Decentralization[中心勢力解体分散]、Democratization[民主化]
・3S Sport [スポーツの奨励]、Sex [セックスの解放]、Screen [映画の奨励]
そして、ここからが本題ですが、今財務省は、ラーム・エマニュエル氏や竹中平蔵の圧力もあり、本気でDXを勧めかねない状況があります(本当の本音は官僚もいやでしょうが)ので、下記再度お読み頂けたらと思います。
このような動きに「国民が気づき」、こうならないように世論を作り、国や政府を動かしていくことが大切だと思います。
日本の保護策を撤廃するTPPなども、ほとんどの国民が知らないうちに数千ページの文書を出され、無理矢理締結されようとしましたが、国民や議員が気づき、そして推進者のヒラリークリントンらが大統領選で敗北し、トランプ氏が大統領になったのがその停止に大きかったと考えます。(太平洋圏などの貿易協定は、もっと日本独自で行う必要はあります。)
デジタル化について、メリットもあるかと思いますが、下記のような、単なる人件費削減、日本の収奪だとすれば、
日本に賃金低下を蔓延させ、国民を疲弊させた、竹中小泉改革をさらに進めることとなり、より若者、少子化を始め、日本が劣化するのは目に見えていますし、20年前の改革の影響を忘れず、下記を国民レベルで知り、注意して回避することが大切だと思います。
DX水深は、誰が何のために勧めようとしているのかを知ることが大切です。
日本にもっと国民と国民のために政策決定をし、国を動かす人が必要です。あきらめずそれをやり続けることが大切だと思います。
今は政府のトップ数人で、ぎりぎり逃げたりしている状況もあると思います。
その一方で、財務官僚の内閣官房副長官、木原誠二らがエマニュエルの手下となり、岸田総理を動かし、アメリカに資金拠出する、武器を買う指示系統の一部となっている状況もあります。
竹中平蔵が復権した今の総務省では、今までの人的、物的インフラを削減する動きをしていますので、下記のようなよく調べ、勇気ある告発本を国民が知ることが必要だと思います。
ワクチンや、種苗法、種子法、水利権等ともつながる話だと思います。
日本のデジタル化、規制緩和の行く先を国民が今でよく知り、同じ失敗をしないように回避する必要があることについて その1
2022/05/08 21:53
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-321.html
日本のデジタル化、規制緩和の行く先を国民が今でよく知り、同じ失敗をしないように回避する必要があることについて その2
2022/05/08 21:55
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-322.html
上記記事は、政治経済を担当している知念敦によるものです。
書きたくないですが、アメリカ大使が呼び出して、活用しているということだと考えます。
大谷翔平が東京で突然訪れた場所にネット騒然「名古屋入り前の寄り道が…凄っ!」
2023.03.03
https://the-ans.jp/news/305186/
今回の放送権についても、TBSが放送権を得るのに40億円の費用がかかったそうです。
報道でも30億と書かれています。
WBC放映権 次回はさらに高騰か 地上波が撤退する可能性も 3/24(金) 5:09
https://news.yahoo.co.jp/articles/955da27c8c60c39e7c6a35636e7c5c9fc3477c07
皆が喜ぶ中、書きたくないですが、このイベントが行われる中で、また、日本が扇動され、米国に武器や資金が流れる動きが作られると考えます。
岸田首相は、先日、ウクライナ訪問し、殺傷能力のない装備品でとどまったようですが、今後の支援を約束させられました。(この間岸田首相は、ずっと嫌そうな顔をしていました。エマニュエル氏や、軍需産業系統から相当な圧力があったと考えます。国民がこれらを知ることが大切です。)
ヨーロッパでさえ、ウクライナに支援を出し渋る中、ヨーロッパ諸国で、燃料価格が4倍に跳ね上がり、各地で反米(反戦)デモが起こっています。これが日本人も納得するまともな動きではないでしょうか。なぜこれが日本で報道されないのか。野球よりも大事ではないか。
日本は、もっと欧州の識者、国民と連携すべきではないでしょうか。
「戦争やめ国民の生活救え!」 欧州各地でEU、NATO抗議デモが多発 燃料高騰で「凍える冬」が目前に 2022.10.24 長周新聞
https://okagesamadesu.net/many-demonstrations-calling-for-support-of-life-in-europe
今、国民生活に何が起ころうとしているか、ウオッチした方がよいと考えます。
安倍首相の祖父の岸信介は、新安保を国会承認する際(変更内容は日米事前協議が入り悪くはないですが)、国民の最大規模の反対デモが起こりましたが、それを見て、
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもの通りである、私には声なき声が聞こえる」と、後楽園球場には人がいっぱいいるから、国民は安保改正を気にしていないという発言をしています。
この考えには、下記3S政策的な考えがあると思います。
3D,5R、3S政策は、主にGHQが日本占領下で行われています。
3D,5R,3S政策関連情報 https://kig-8.com/3s/
・3R Revenge[復讐]、Reform[改組]、Revive[復活]
・5D Disarmament[武装解除]、Demilitarization[軍国主義の排除]、Disindustrialization[工業生産力破壊]、Decentralization[中心勢力解体分散]、Democratization[民主化]
・3S Sport [スポーツの奨励]、Sex [セックスの解放]、Screen [映画の奨励]
そして、ここからが本題ですが、今財務省は、ラーム・エマニュエル氏や竹中平蔵の圧力もあり、本気でDXを勧めかねない状況があります(本当の本音は官僚もいやでしょうが)ので、下記再度お読み頂けたらと思います。
このような動きに「国民が気づき」、こうならないように世論を作り、国や政府を動かしていくことが大切だと思います。
日本の保護策を撤廃するTPPなども、ほとんどの国民が知らないうちに数千ページの文書を出され、無理矢理締結されようとしましたが、国民や議員が気づき、そして推進者のヒラリークリントンらが大統領選で敗北し、トランプ氏が大統領になったのがその停止に大きかったと考えます。(太平洋圏などの貿易協定は、もっと日本独自で行う必要はあります。)
デジタル化について、メリットもあるかと思いますが、下記のような、単なる人件費削減、日本の収奪だとすれば、
日本に賃金低下を蔓延させ、国民を疲弊させた、竹中小泉改革をさらに進めることとなり、より若者、少子化を始め、日本が劣化するのは目に見えていますし、20年前の改革の影響を忘れず、下記を国民レベルで知り、注意して回避することが大切だと思います。
DX水深は、誰が何のために勧めようとしているのかを知ることが大切です。
日本にもっと国民と国民のために政策決定をし、国を動かす人が必要です。あきらめずそれをやり続けることが大切だと思います。
今は政府のトップ数人で、ぎりぎり逃げたりしている状況もあると思います。
その一方で、財務官僚の内閣官房副長官、木原誠二らがエマニュエルの手下となり、岸田総理を動かし、アメリカに資金拠出する、武器を買う指示系統の一部となっている状況もあります。
竹中平蔵が復権した今の総務省では、今までの人的、物的インフラを削減する動きをしていますので、下記のようなよく調べ、勇気ある告発本を国民が知ることが必要だと思います。
ワクチンや、種苗法、種子法、水利権等ともつながる話だと思います。
日本のデジタル化、規制緩和の行く先を国民が今でよく知り、同じ失敗をしないように回避する必要があることについて その1
2022/05/08 21:53
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-321.html
日本のデジタル化、規制緩和の行く先を国民が今でよく知り、同じ失敗をしないように回避する必要があることについて その2
2022/05/08 21:55
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-322.html
上記記事は、政治経済を担当している知念敦によるものです。
核戦争回避のために、米ロが今、真剣に外交交渉する必要があることについて
- 2023/03/22
- 07:31
掲載が少し遅くなりましたが、3月11日時点の佐藤優氏の提言で、プーチン氏は本気でアメリカが今、核実験を行う可能性があると思い込んでおり、そのため、プーチン氏も核実験をしかねず、核戦争に進みかねない危険な状況があり、一方でプーチン氏のメッセージを見ると、米国との接触、折衝をしたがっているため、アメリカが本気でロシアと核管理について、新STARTの履行再開にむけて交渉することが大切とのことです。戦略核を...
掲載が少し遅くなりましたが、3月11日時点の佐藤優氏の提言で、プーチン氏は本気でアメリカが今、核実験を行う可能性があると思い込んでおり、そのため、プーチン氏も核実験をしかねず、核戦争に進みかねない危険な状況があり、一方でプーチン氏のメッセージを見ると、米国との接触、折衝をしたがっているため、アメリカが本気でロシアと核管理について、新STARTの履行再開にむけて交渉することが大切とのことです。
戦略核をはじめとした弾頭数を制限する、アメリカとロシアの核軍縮条約新STARTは、近年では、2021年6月、プーチン氏とバイデン氏で2026年2月までの5年間延長を大筋合意していましたが、2国間協議が延期され、協議が難航しています。
その中、ロシアは2023年2月21日に、年次教書演説でその停止を表明、3月1日に停止の法律に署名していますが、上記については、離脱ではなく、停止であり、米国が態度を改めるならば、履行停止を撤回するというシグナルを出しています。
米国が、核戦争を避けるために、ロシアと真面目に、真剣に交渉を行う必要があります。ウクライナでの敵対とは別で、この核管理について、まず真剣に協議し、互いの敵対関係、互いの悪意を大きく見積もる状況を変えていくべきです。
その意味では、アメリカにボールはあり、ぜひ、アメリカには外相級の短時間会議みならず、事務方で真剣に、継続して、新STARTの履行、進展に向けて、外交官、事務方同士で交渉して頂きたいです。
※佐藤氏 2023年3月22日3面 ウチナー評論より 抜粋
米ロの緊張緩和に繋がる出来事があった。
3月2日、米国のブリンケン国務長官とロシアのセルゲイ・ラブロフ外相がニューデリーで行われている主要20カ国・地域(G20)外相会合の際に短時間接触した。
報道によると約10分間接触し、ブリンケン長官はウクライナ支援を継続する立場を強調したほか、ロシアとアメリカの核軍縮条約「新START」の履行の停止を考え直すよう求めたとのこと。
ブリンケン氏は、ロシアの履行停止を「無責任だ」と批判した上で、「互いに条約を遵守することは両国の利益だ」と強調した。米ロの外相が対面で接触するのは、去年2月のロシアのウクライナ軍事侵攻以来初めてとのこと。
上記に対する佐藤氏解説
ロシアは、交渉などなかったと主張するが、実は米ロの接触を仕掛けたのはプーチン大統領だ。2月21日の年次教書演説でプーチン氏はこう述べた。(ロシア大統領府HPから佐藤氏訳)
「今、西側連合は、NATOの代表を通じてシグナルを送っている。それは新START問題と、ウクライナ紛争の西側の敵対行為とは関係なく、ウクライナで敗北させたいという発言も影響しないと言っている。だから私は、今日、ロシアが新STARTへの参加を停止していると言わざるを得ない。繰り返しますが、ロシアは条約から脱退するのではなく、参加を停止するのです」
要するにプーチン氏は、米国との信頼関係が崩れているので、新START履行停止しているが、離脱するつもりはなく、米国が態度を改めるならば、停止を撤回するというシグナルを送っている。
米国はこのシグナルを真摯に受け止めて、外相級で接触することにしたのだ。
これについて、米国はウクライナでは譲歩するつもりはないが、核管理については協議していくという意思を示したと佐藤氏は見ているとのことです。
米国が核実験に踏み込む可能性は、冷静に考えればあり得ない。しかし、プーチン氏は本気で米国が核戦争を行う可能性があると思い込んで、核実験の準備を年次教書演説で指示した。とても危険な状態だ。
今必要なのは米ロの外交交渉だ。外交官には交渉が始まればそれをまとめたくなる職業的本性がある。
米ロの外交官(事務方)は核戦争を避けるために、真面目な交渉を行う責務がある。
佐藤氏記事は以上ですが、
ここでロシアとアメリカが、核実験を開始し、その応酬、特に戦術核、ロシアのイスカンデルやアメリカのMDミサイル配備など、核戦争のたがが外れないように、今、ウクライナ問題にとらわれず、核配備防止に、真剣に協議して頂きたい。
これはこれでしっかりとお互いに、数や新型ミサイルなどの配備制限の約束をとりつけていただきたいと、切に願います。
本当に、今の状況でたがが外れると、第3次世界大戦、核戦争(最終戦争)のリスクが高まってしまうからです。欧州、アジア、米ロが火の海になる可能性があります。
そうならないようにぜひ、米国が主導して、新STARTの復活、履行に向けて、ロシアとの交渉に動いて頂きたいです。
プーチン大統領「新START」履行停止の法律に署名 「欧米が対応変えない限り履行再開せず」ロシア大統領報道官 2023年3月1日(水) 04:44TBS
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/353322
下記など、アンチロシアの世論で、絶望を煽る記事もありますが、今こそこれに流されず、諦めないで頑張るべき時です。
新START、修復ほぼ不可能 核リスク拡大へ 2023年2月22日4:04 ロイター
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-nuclear-putin-idJPKBN2UW08B
上記記事は、知念敦による、情報紹介記事です。
戦略核をはじめとした弾頭数を制限する、アメリカとロシアの核軍縮条約新STARTは、近年では、2021年6月、プーチン氏とバイデン氏で2026年2月までの5年間延長を大筋合意していましたが、2国間協議が延期され、協議が難航しています。
その中、ロシアは2023年2月21日に、年次教書演説でその停止を表明、3月1日に停止の法律に署名していますが、上記については、離脱ではなく、停止であり、米国が態度を改めるならば、履行停止を撤回するというシグナルを出しています。
米国が、核戦争を避けるために、ロシアと真面目に、真剣に交渉を行う必要があります。ウクライナでの敵対とは別で、この核管理について、まず真剣に協議し、互いの敵対関係、互いの悪意を大きく見積もる状況を変えていくべきです。
その意味では、アメリカにボールはあり、ぜひ、アメリカには外相級の短時間会議みならず、事務方で真剣に、継続して、新STARTの履行、進展に向けて、外交官、事務方同士で交渉して頂きたいです。
※佐藤氏 2023年3月22日3面 ウチナー評論より 抜粋
米ロの緊張緩和に繋がる出来事があった。
3月2日、米国のブリンケン国務長官とロシアのセルゲイ・ラブロフ外相がニューデリーで行われている主要20カ国・地域(G20)外相会合の際に短時間接触した。
報道によると約10分間接触し、ブリンケン長官はウクライナ支援を継続する立場を強調したほか、ロシアとアメリカの核軍縮条約「新START」の履行の停止を考え直すよう求めたとのこと。
ブリンケン氏は、ロシアの履行停止を「無責任だ」と批判した上で、「互いに条約を遵守することは両国の利益だ」と強調した。米ロの外相が対面で接触するのは、去年2月のロシアのウクライナ軍事侵攻以来初めてとのこと。
上記に対する佐藤氏解説
ロシアは、交渉などなかったと主張するが、実は米ロの接触を仕掛けたのはプーチン大統領だ。2月21日の年次教書演説でプーチン氏はこう述べた。(ロシア大統領府HPから佐藤氏訳)
「今、西側連合は、NATOの代表を通じてシグナルを送っている。それは新START問題と、ウクライナ紛争の西側の敵対行為とは関係なく、ウクライナで敗北させたいという発言も影響しないと言っている。だから私は、今日、ロシアが新STARTへの参加を停止していると言わざるを得ない。繰り返しますが、ロシアは条約から脱退するのではなく、参加を停止するのです」
要するにプーチン氏は、米国との信頼関係が崩れているので、新START履行停止しているが、離脱するつもりはなく、米国が態度を改めるならば、停止を撤回するというシグナルを送っている。
米国はこのシグナルを真摯に受け止めて、外相級で接触することにしたのだ。
これについて、米国はウクライナでは譲歩するつもりはないが、核管理については協議していくという意思を示したと佐藤氏は見ているとのことです。
米国が核実験に踏み込む可能性は、冷静に考えればあり得ない。しかし、プーチン氏は本気で米国が核戦争を行う可能性があると思い込んで、核実験の準備を年次教書演説で指示した。とても危険な状態だ。
今必要なのは米ロの外交交渉だ。外交官には交渉が始まればそれをまとめたくなる職業的本性がある。
米ロの外交官(事務方)は核戦争を避けるために、真面目な交渉を行う責務がある。
佐藤氏記事は以上ですが、
ここでロシアとアメリカが、核実験を開始し、その応酬、特に戦術核、ロシアのイスカンデルやアメリカのMDミサイル配備など、核戦争のたがが外れないように、今、ウクライナ問題にとらわれず、核配備防止に、真剣に協議して頂きたい。
これはこれでしっかりとお互いに、数や新型ミサイルなどの配備制限の約束をとりつけていただきたいと、切に願います。
本当に、今の状況でたがが外れると、第3次世界大戦、核戦争(最終戦争)のリスクが高まってしまうからです。欧州、アジア、米ロが火の海になる可能性があります。
そうならないようにぜひ、米国が主導して、新STARTの復活、履行に向けて、ロシアとの交渉に動いて頂きたいです。
プーチン大統領「新START」履行停止の法律に署名 「欧米が対応変えない限り履行再開せず」ロシア大統領報道官 2023年3月1日(水) 04:44TBS
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/353322
下記など、アンチロシアの世論で、絶望を煽る記事もありますが、今こそこれに流されず、諦めないで頑張るべき時です。
新START、修復ほぼ不可能 核リスク拡大へ 2023年2月22日4:04 ロイター
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-nuclear-putin-idJPKBN2UW08B
上記記事は、知念敦による、情報紹介記事です。
あらためて、震災対策、防災への点検を行い、家族で話し合うことの大切さについて
- 2023/03/08
- 07:58
去る2月6日、トルコ・シリアを中心に地震が発生し(2023年ガズィアンテプ地震)、両国の死者数は計5万人以上となり、数百万人が避難生活を送っています。3月に入ってから、台湾や沖縄でもサイバーテロと思われる事件が頻発していますが、まず、みんなの命、生活を守るため、防災対策について下記記事などを改めてお読み頂き、今後、必ず起こると言われている南海トラフ、首都直下型地震に備え、避難や備蓄等について、家族で話し合...
去る2月6日、トルコ・シリアを中心に地震が発生し(2023年ガズィアンテプ地震)、両国の死者数は計5万人以上となり、数百万人が避難生活を送っています。
3月に入ってから、台湾や沖縄でもサイバーテロと思われる事件が頻発していますが、まず、みんなの命、生活を守るため、防災対策について下記記事などを改めてお読み頂き、今後、必ず起こると言われている南海トラフ、首都直下型地震に備え、避難や備蓄等について、家族で話し合って頂けたらと思います。
あらためて、震災対策、防災への点検を行い、家族で話し合うことの大切さについて
2021/03/16 09:04
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-272.html
これは、政治経済担当 知念敦の情報紹介を含む記事です。
3月に入ってから、台湾や沖縄でもサイバーテロと思われる事件が頻発していますが、まず、みんなの命、生活を守るため、防災対策について下記記事などを改めてお読み頂き、今後、必ず起こると言われている南海トラフ、首都直下型地震に備え、避難や備蓄等について、家族で話し合って頂けたらと思います。
あらためて、震災対策、防災への点検を行い、家族で話し合うことの大切さについて
2021/03/16 09:04
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-272.html
これは、政治経済担当 知念敦の情報紹介を含む記事です。
日本の岸田首相は戦争中のウクライナに訪問すべきではないことについて
- 2023/02/24
- 07:41
この数ヶ月、岸田首相はウクライナに訪問すべきであるとか、訪問せよ、検討中という報道も見られますが、岸田首相はウクライナに訪問すべきではありません。岸田首相のウクライナ訪問 調整続く 最大の課題は安全確保2023年2月23日 4時58分https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230223/k10013988571000.htmlなぜなら、このウクライナ戦争は、アメリカの戦争惹起派閥(ムーニーズ、ネオコン)が、ロシア(その後中国)を潰すためにプ...
この数ヶ月、岸田首相はウクライナに訪問すべきであるとか、訪問せよ、検討中という報道も見られますが、岸田首相はウクライナに訪問すべきではありません。
岸田首相のウクライナ訪問 調整続く 最大の課題は安全確保
2023年2月23日 4時58分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230223/k10013988571000.html
なぜなら、このウクライナ戦争は、アメリカの戦争惹起派閥(ムーニーズ、ネオコン)が、ロシア(その後中国)を潰すためにプーチン氏を追い込んで起こさせたものであり、そこに日本が力を貸して、ウクライナに殺傷能力のある武器を提供し、資金を提供することは、日本が戦争継続に手を貸すこととなり、それは日本国民の国益を大きく損ねる。
日本が、今後取り得る和平交渉できる立場を捨てることになるからです。
日本の、今後数十年の将来の国益を著しく損ねるからです。
今、ウクライナのゼレンスキー氏らは、世界中を訪問し、Web会議で訴え、戦争を続けるように、ウクライナに武器、兵、資金を拠出するように訴えています。
そして、この動きが、結局、自国民のウクライナ人の犠牲を増やすこととなっています。
アメリカ戦争惹起派の手下と言われ、実際その行動をしているゼレンスキー氏の言動を見ていると、武器支援ばかりを訴え、自分の国民を守るという考えがないように思われます。
ウクライナの軍事施設の近くに、病院や団地などを置き、日々民間人の被害を出させ、世界中で戦争継続のプロパガンダを行っている様子があります。(これはどこの国でも行われます。)
日本人にこそ、強く認識して頂きたいですが、諸外国が、後ろから武器を提供されることにより、最も被害を受けているのは、ウクライナとロシアの兵や一般国民です。
アメリカ等の工作や武器提供により、「スラブ人」同士が、戦争させられていると言えます。
ベトナム戦争や朝鮮戦争、アフガン戦争などと、同じです。
武器や戦争、資源高値で儲かる人たちが、地元住民の命を犠牲にして戦争させていることは、多くの日本人にも知って頂きたいです。
話を戻しますが、日本の岸田首相は、ウクライナ(キーウなど)を訪問すべきではありません。訪問すれば、武器供与、資金援助、この戦争にさらに協力することになり、日本が将来的になしうる、平和、調整国家の道を閉ざし、日本の数十年単位の国益を損ねる可能性があるからです。
このことは、今後の台湾有事にも密接に関わるものであり、アメリカが仕掛けない限り、台湾で戦争をしたくない、中国の習近平と、台湾有事で最も攻撃をうける国の一つである日本も、積極的に和平に向け、中国と連携し諸国との調整に奔走すべきです。
それは今ならできます、世界が戦争に、資源高、経済疲弊で、本音では各国が戦争がいやな中、日本や中国が動くチャンスとも言えます。また、来年米大統領選、台湾総統選が行われますが、それに向けても国益を守る方向に舵を切れることになります。
私は、秋葉剛男国家安全保障局長など、力のある人が中国側と会談し、停戦に向けた各国への根回しに動くことが大切だと考えます。
ぜひ、日本は、和平案を、中国と一緒に打ち出す根回しを、必死に行ってほしいと思います。
また、ロ中関係について、中国にとても詳しい遠藤誉さんが下記のように書いています。
下記リンクのプーチン氏コメントでも、今まで構築した国際ネットワークを使って、とにかく和平交渉をしたいという意図が読めます。中国を頼っているのが分かります。
プーチンと会った中国外交トップ王毅 こんなビビった顔は見たことがない
2/23(木) 15:45
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20230223-00338455
遠藤氏は下記のように分析しています。
・中国はプーチンに畏敬の念を抱いている。
・ロシア側の言い分を反映した「和平案」になることが予想され、ウクライナ側やNATO側が納得するとは思いにくい性格のものになる可能性が高い。
そこで、遠藤氏は言っています。
それでも、「和平案」というものは、言った者勝ちである。少なくとも習近平は、「世界の平和のために動こうとしている」というメッセージにはなる。メリットがなければ動くはずがない。来年1月台湾総統選で親中勢力を勝たせたい、という意図もある。
ここからは、私の見解になりますが、中国の働きに、日本としても、一時の打算だけでなく誠の心で、中国と向き合い、西側への和平交渉の実現に協力してほしいと思います。どの国も動きにくい中で、中国と日本は、両陣営に働きかけられる貴重な立場にあります。
改めて、ウクライナ訪問すべきでないこと、外務省事務方レベルの準備交渉を行うべきことについても、佐藤優氏の助言を記載します。
(佐藤優のウチナー評論 2023年1月28日、2月4日 より)
ぜひ、日本の官邸は、ウクライナやその袖に振り回されず、大国らしく世界平和のために努力して頂きたいです。
以下抜粋
現在、日本外務省に一部勢力(特に在ウクライナ大使の松田邦紀)が、岸田文雄首相のウクライナ訪問を画策しているが、この戦争に日本が深入りすることが国益に合致するか否かを慎重に検討する必要がある。現時点で、日本はウクライナへ殺傷能力のある武器を供与していない。この路線を堅持すべきだ。戦争が長期化することを防ぐために、西側連合の一員でありながら、ウクライナに殺傷能力のある武器を提供していない日本は、客観的に見て仲介者となる可能性がある。平和外交のイニシアティブを発揮する方が戦争に深入りするよりも日本の国民益にも国家益にも貢献すると思う。
(上記評論 2023年1月28日)
日本は西側連合の一員であるが、ウクライナに殺傷能力を持つ武器を供与していないし、今後も供与すべきではない。
これは日本がロシアとウクライナの仲介をする上で重要な要素だ。現在、一部勢力が岸田文雄首相のウクライナ訪問を画策しているが、そのような訪問でこの戦争に深入りするよりも停戦に向けたイニシアチブを取る方が国際社会における日本の地位を高めることになる。生命尊重、人間主義という基本的価値観を創価学会と共有する公明党は、政府内で停戦合意に向け岸田首相が動くようにぜひ働きかけてほしい。
池田大作氏の提案
国連が今一度、仲介する形で、ロシアとウクライナをはじめ主要な関係国による外務大臣会議を早急に開催し、停戦の合意を図ることを強く呼びかけたい。
佐藤氏の提案
停戦の合意を図るために、関係国が協力してロシアとウクライナの外相を交渉の席に着かせる努力をすべきだ。専門家(外務省の事務方)レベルの準備交渉ならすぐに着手できるはずだ。(同評論 2023年2月4日)
とにかく日本の首相は、戦争中のウクライナを訪れるべきではないこと。
そして、専門家(外務省の事務方)レベルの準備交渉にすぐ着手すべきこと。
そして、私は、先の遠藤氏の情報を踏まえても、日本は中国とも連携し、ウクライナ停戦の実現に向けてNATO等関係国へ働きかけをすべきと考えます。それは、今後の台湾有事の回避にも繋がると考えます。
ぜひ、岸田首相は、ウクライナに武器提供をしていない国として、その立場を守り、一刻も早い停戦に向けて、外務省事務方の準備交渉を指示していただきたいです。
また、秋葉剛男国家安全保障局長等にも動いて頂き、ウクライナ停戦に向けた、中国・ロシアとの連携を提案すべきと考えます。
公明党など、政権の意志決定に影響を持つ与党関係者も、世界の和平に向けて、必死に動いて頂きたいと、切に思います。
この記事は、政治経済を担当している知念敦によるものです。
岸田首相のウクライナ訪問 調整続く 最大の課題は安全確保
2023年2月23日 4時58分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230223/k10013988571000.html
なぜなら、このウクライナ戦争は、アメリカの戦争惹起派閥(ムーニーズ、ネオコン)が、ロシア(その後中国)を潰すためにプーチン氏を追い込んで起こさせたものであり、そこに日本が力を貸して、ウクライナに殺傷能力のある武器を提供し、資金を提供することは、日本が戦争継続に手を貸すこととなり、それは日本国民の国益を大きく損ねる。
日本が、今後取り得る和平交渉できる立場を捨てることになるからです。
日本の、今後数十年の将来の国益を著しく損ねるからです。
今、ウクライナのゼレンスキー氏らは、世界中を訪問し、Web会議で訴え、戦争を続けるように、ウクライナに武器、兵、資金を拠出するように訴えています。
そして、この動きが、結局、自国民のウクライナ人の犠牲を増やすこととなっています。
アメリカ戦争惹起派の手下と言われ、実際その行動をしているゼレンスキー氏の言動を見ていると、武器支援ばかりを訴え、自分の国民を守るという考えがないように思われます。
ウクライナの軍事施設の近くに、病院や団地などを置き、日々民間人の被害を出させ、世界中で戦争継続のプロパガンダを行っている様子があります。(これはどこの国でも行われます。)
日本人にこそ、強く認識して頂きたいですが、諸外国が、後ろから武器を提供されることにより、最も被害を受けているのは、ウクライナとロシアの兵や一般国民です。
アメリカ等の工作や武器提供により、「スラブ人」同士が、戦争させられていると言えます。
ベトナム戦争や朝鮮戦争、アフガン戦争などと、同じです。
武器や戦争、資源高値で儲かる人たちが、地元住民の命を犠牲にして戦争させていることは、多くの日本人にも知って頂きたいです。
話を戻しますが、日本の岸田首相は、ウクライナ(キーウなど)を訪問すべきではありません。訪問すれば、武器供与、資金援助、この戦争にさらに協力することになり、日本が将来的になしうる、平和、調整国家の道を閉ざし、日本の数十年単位の国益を損ねる可能性があるからです。
このことは、今後の台湾有事にも密接に関わるものであり、アメリカが仕掛けない限り、台湾で戦争をしたくない、中国の習近平と、台湾有事で最も攻撃をうける国の一つである日本も、積極的に和平に向け、中国と連携し諸国との調整に奔走すべきです。
それは今ならできます、世界が戦争に、資源高、経済疲弊で、本音では各国が戦争がいやな中、日本や中国が動くチャンスとも言えます。また、来年米大統領選、台湾総統選が行われますが、それに向けても国益を守る方向に舵を切れることになります。
私は、秋葉剛男国家安全保障局長など、力のある人が中国側と会談し、停戦に向けた各国への根回しに動くことが大切だと考えます。
ぜひ、日本は、和平案を、中国と一緒に打ち出す根回しを、必死に行ってほしいと思います。
また、ロ中関係について、中国にとても詳しい遠藤誉さんが下記のように書いています。
下記リンクのプーチン氏コメントでも、今まで構築した国際ネットワークを使って、とにかく和平交渉をしたいという意図が読めます。中国を頼っているのが分かります。
プーチンと会った中国外交トップ王毅 こんなビビった顔は見たことがない
2/23(木) 15:45
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20230223-00338455
遠藤氏は下記のように分析しています。
・中国はプーチンに畏敬の念を抱いている。
・ロシア側の言い分を反映した「和平案」になることが予想され、ウクライナ側やNATO側が納得するとは思いにくい性格のものになる可能性が高い。
そこで、遠藤氏は言っています。
それでも、「和平案」というものは、言った者勝ちである。少なくとも習近平は、「世界の平和のために動こうとしている」というメッセージにはなる。メリットがなければ動くはずがない。来年1月台湾総統選で親中勢力を勝たせたい、という意図もある。
ここからは、私の見解になりますが、中国の働きに、日本としても、一時の打算だけでなく誠の心で、中国と向き合い、西側への和平交渉の実現に協力してほしいと思います。どの国も動きにくい中で、中国と日本は、両陣営に働きかけられる貴重な立場にあります。
改めて、ウクライナ訪問すべきでないこと、外務省事務方レベルの準備交渉を行うべきことについても、佐藤優氏の助言を記載します。
(佐藤優のウチナー評論 2023年1月28日、2月4日 より)
ぜひ、日本の官邸は、ウクライナやその袖に振り回されず、大国らしく世界平和のために努力して頂きたいです。
以下抜粋
現在、日本外務省に一部勢力(特に在ウクライナ大使の松田邦紀)が、岸田文雄首相のウクライナ訪問を画策しているが、この戦争に日本が深入りすることが国益に合致するか否かを慎重に検討する必要がある。現時点で、日本はウクライナへ殺傷能力のある武器を供与していない。この路線を堅持すべきだ。戦争が長期化することを防ぐために、西側連合の一員でありながら、ウクライナに殺傷能力のある武器を提供していない日本は、客観的に見て仲介者となる可能性がある。平和外交のイニシアティブを発揮する方が戦争に深入りするよりも日本の国民益にも国家益にも貢献すると思う。
(上記評論 2023年1月28日)
日本は西側連合の一員であるが、ウクライナに殺傷能力を持つ武器を供与していないし、今後も供与すべきではない。
これは日本がロシアとウクライナの仲介をする上で重要な要素だ。現在、一部勢力が岸田文雄首相のウクライナ訪問を画策しているが、そのような訪問でこの戦争に深入りするよりも停戦に向けたイニシアチブを取る方が国際社会における日本の地位を高めることになる。生命尊重、人間主義という基本的価値観を創価学会と共有する公明党は、政府内で停戦合意に向け岸田首相が動くようにぜひ働きかけてほしい。
池田大作氏の提案
国連が今一度、仲介する形で、ロシアとウクライナをはじめ主要な関係国による外務大臣会議を早急に開催し、停戦の合意を図ることを強く呼びかけたい。
佐藤氏の提案
停戦の合意を図るために、関係国が協力してロシアとウクライナの外相を交渉の席に着かせる努力をすべきだ。専門家(外務省の事務方)レベルの準備交渉ならすぐに着手できるはずだ。(同評論 2023年2月4日)
とにかく日本の首相は、戦争中のウクライナを訪れるべきではないこと。
そして、専門家(外務省の事務方)レベルの準備交渉にすぐ着手すべきこと。
そして、私は、先の遠藤氏の情報を踏まえても、日本は中国とも連携し、ウクライナ停戦の実現に向けてNATO等関係国へ働きかけをすべきと考えます。それは、今後の台湾有事の回避にも繋がると考えます。
ぜひ、岸田首相は、ウクライナに武器提供をしていない国として、その立場を守り、一刻も早い停戦に向けて、外務省事務方の準備交渉を指示していただきたいです。
また、秋葉剛男国家安全保障局長等にも動いて頂き、ウクライナ停戦に向けた、中国・ロシアとの連携を提案すべきと考えます。
公明党など、政権の意志決定に影響を持つ与党関係者も、世界の和平に向けて、必死に動いて頂きたいと、切に思います。
この記事は、政治経済を担当している知念敦によるものです。