日本人の特質を、成功のために伸ばすことについて
- 2020/01/13
- 16:18
しばらく記事がかけていませんでしたが、年初めの記事として、日本人の性質や伸ばすべき方向、ジャンルについて述べたいと思います。
「いのちの地球よ永遠にあれ」比嘉良丸著(p133)より
(要点を記載しています。かっこはこちらで記載しています)
「日本の良さを世界で発揮しよう」
日本人は、災害時の物資調達でも、取り合いをせずに、苦しいところから、生命の維持に大変なところから回すような国民性を持っている。
外国では災害があって自分たちよりもひどい場所があっても、我先に物資を取ろうとする。
しかし日本人は、大変なところがあれば、「自分たちはまだ我慢できるから」と。
苦しいところから先に物資を持っていこうとする。
日本人が持っているこの国民性。
皆が一つになって協力して助け合うというこの性質は、他の国にはない、日本人の大きな能力である。
(「自分たちはまだ我慢できるから(他の困っている人から助けて)」という思いやりは、世界で見ると稀で大事な心、国民性だと思います。)
(そして、下記は、よく言われますが、よく確認すべき重要な性質だと思います。)
外国からは、穏便にとか、はっきりものを言わないと悪く言われもするが、その性質をいいように使えば、仲裁や和解に役立つ。
他の国の持っている自己中心的なところを和らげて、助け合う、分かち合うという心がつくれる。
この国民性が、第二次世界大戦のときは違った形で使われた。
(日中戦争に引けなくなっていった会議、では幹部がよく議論しないところがマイナスに作用し、また、ものを言わない、協力し、一つになる国民性が、間違った方向に使われてしまったという意味だと思います。。
民族やその特質は、使いようであり、他民族の評価だけに振り回されることなく、「自国民が」自らの歴史からその成功、失敗の特質を知ることが大切だと思います。)
本当の意味で上記の国民性をいいところを使えば、日本という国は、平和のリーダーシップをとっていける。だからこそ、改正は必要かもしれないが、戦争をしない、憲法9条を大事にして、生かすべきではないか。
(著作からは以上)
上記をふまえて、考えたことですが、
日本人が、あえて正面から相手を批判、攻撃せず、相手の気持ちを黙って最大限推し量って、丸く調和させようとする性質は、対立する国の仲裁、和解、団結に大きな力を発揮すると思います。
これはもっと日本人に認識されていいと思います。
そして、よく批判される日本の「あいまい」は、ごまかしではなく、(言葉によって安易に)相手の心を傷つけないようにという、思いやり、相手への愛情の意味があると思います。
それは、対応に柔軟性、遊び(ゆるみ)を持たせて、相手の思いや立場、存在を大事にするためにしていると思います。
(一方で国際的には、高圧的ならず、一方的に決めない、事実や懸念についてわかるように伝えていく必要があると思います。第二次大戦では、国連脱退や第一次上海事変など、自らを追い込み、対応を誤ったところがあると思いますので。)
日本人には、こちらと相手を見て冷静にことを進める繊細さがああり、それは仲裁者に必要な能力です。
また日本国憲法については、よく言われますが、日本のマッカーサーや、憲法を作ったチャールズ・ケーディスなどは、日本人が第二次大戦で発揮した、(特攻隊や突撃などで見られた)団結心と凶暴さを発揮しないように、そしてアジアでの覇権を再び求めないように、牙を抜くつもりで作成した部分はたしかにあると思います。
しかし、それは、諸状況の結果、日本という国の国力、性質、目指すべき方向に合っていたと思います。
日本人が、西洋に負けまいと、牙を抜かれたことだけを見て、負けまいと考える必要はないと思います。
なぜなら、戦後の日本の方が劇的に発展しましたし、競争するなら、資源、国力面をとっても、日本は最も不利だからです。
軍事や覇権という、圧倒的に不利な土俵で勝負をしても、勝負は見えています。
また、戦略面でも、日中戦争や真珠湾攻撃の判断など、内部から米側を利するような判断が行われ、すでに計略負けしているところがあり、相手をだますような勝負には、その精神風土からも、日本は勝てないと思うからです。
(そういう覇権の勝負に、日本は向いておらず、また、はめられる可能性が高いと思います。)
自国への侵略をとどめるための工夫は必要ですが、覇権や競争に入らず、基本的に丸腰で、他国の衣食住、生活の役に立つ方が、日本が必要不可欠な国になれると思います。
繊細な日本の場合、防衛費を各国にロビイングをする予算にまわす方が効果があるかと思います。
各国の利益や利便を仲介します。
そういう国には、脅しや圧力はかけにくくなります。
各国への利便でいえば、例えば、水や空気を汚さない技術、リサイクル、円滑な制度、保健、医療、低廉で万民のための衣食住インフラ、安定、安全な社会システムをつくり、各国に入り込み、国の維持に必要不可欠な国になることができます。
今の日本は、今後中国や世界が抱えるであろう「高齢社会」、「汚染社会」、「エネルギー」、「資源消費を最小限にする社会(リサイクル)」、「災害に強い社会」などに向け、全力を挙げてモデルや技術を確立すべきです。
このシステム確立に向けて日本という国家とその国民が一体になるべきです。
下記は、官民連携について、マハティール氏のコメントです。
政府と民間の連携はなんら悪いことだと思っていません。政府は積極的に民間に手を差し伸べるべきだ、というのが私の信念です。なぜなら、企業利益は税金という形で還元されるからです。民間を助けることは、政府自らを助けることになります。
規制を完全に撤廃すれば、地場の銀行や企業が倒産してしまうことは、火を見るより明らかです。
参考
日本人が自信を持ち、アジアの発展に貢献することの大切さについて (その1)より
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
日本人が自信を持ち、アジアの発展に貢献することの大切さについて (その2)
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-202.html
これを日本人が伸ばす意味は大きいと思います。
日本は、十年後の国家の繁栄のために、中国や特にアジアの国が陥るであろう、高齢化や汚染を回避する社会を作るべく、技術とシステムを作るべきです。
日本が国際社会で燦然と輝くなら、そういう方向だと思います。日本人はそういうビジョンを持つべきです。
戦前の、欧米に負けまいという(本当は日本人らしくない)執念・恨みにとらわれて、大陸に戦争をしかける場合ではありません。
もっと上の視点から、増加する人類が、いかに地球を害せずに生き延びるか、その仕組みの確立に官民一体で取り組むべきです。
そういうシステムを生み出しうる、外交の可能性も含めた日本人の特性、良さを、日本人が威張らずに再確認、発揮すべきです。
そのためには、日本人が不要な価値観に振り回されず、自己卑下や劣等感から解放される必要があると思います。
例えば、70,80年代に日本が経済力をつけた際、欧米から、「モーレツ社員」「ウサギ小屋に住む働き蜂」などと執拗に攻撃され、それに振り回されて、90年代以降「日本人の勤勉さ、秩序、生産性、熱心さ」を損なわせてきたと思います。
この方向性はおそらく今も続いており、働き方改革で休もう、人を出し抜いて自分だけ勝ち組になろうなどと言われて振り回されたら、日本人がばらばらになり、国として発揮できる力が損なわれると思います。
そこには、日本人の力を貶める意図はないのか、少し慎重に見てもいいと思います。
少し話はそれますが、郵政事業や農協の解体も、日本力の弱体化するという意味で、それと同列にあると思います。
それよりも、本当の良さを再確認し、日本人は、人々が一つになる団結心、思いやり(相手の心をおしはかる力)、同情心、横のつながりをより発揮するべきでなはいかと思います。以心伝心、心の民族といいますか。
それが日本人の円滑な連携を生むと思います。それで日本型経営が成功していたと思います。
日本人がばらばらになって久しいですが、その方向性を再評価し、力をつけていくべきだと思います。
そして、あくまで一例ですが、アインシュタイン氏が戦前の日本を訪れた時の日本人評を示します。
特に、ドイツ人との比較で、日本人が持つ特性が述べられています。
日本人が、欧米のみに遠慮深くなるのでなく、世界の人に対し配慮深くなれたらと思います。
(アインシュタイン氏 来日時の日本人評)
思いやりがあって気取らない。
嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。
われわれは、静かに生活をし、熱心に学び、親しげに微笑んでいる多くの日本人を目にします。だれもが己を出さず、その微笑みの背後に隠されている感情を見抜くことはできません。そして、われわれとは違った心が、その背後にあることがわかります。
もっとも気がついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。
我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極当然のことと思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。
日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれるひとつの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。(この姿勢は、仲裁をするためにも大切な姿勢だと思います。)
ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっても、一つ屋根の下に住んでも、厄介な軋轢や争いにならないで同居していることができるのです。この点で、ヨーロッパ人が非常に不思議に思っていた日本人の微笑みの深い意味が私には見えました。
個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか? 私にはそうは思えません。この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さゆえでありましょう。
今回の記事は以上ですが、今後、日本がめざすべき産業などについても、扱っていけたらと考えています。
また、下記のような官公庁が行っているパブリックコメントやその結果などについても取り扱っていけたらと考えています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
(重要)現在募集中のパブリックコメント 及びその結果の探し方について
http://369archive02.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
上記は、政治経済記事担当をしているA.Cによるものです。
「いのちの地球よ永遠にあれ」比嘉良丸著(p133)より
(要点を記載しています。かっこはこちらで記載しています)
「日本の良さを世界で発揮しよう」
日本人は、災害時の物資調達でも、取り合いをせずに、苦しいところから、生命の維持に大変なところから回すような国民性を持っている。
外国では災害があって自分たちよりもひどい場所があっても、我先に物資を取ろうとする。
しかし日本人は、大変なところがあれば、「自分たちはまだ我慢できるから」と。
苦しいところから先に物資を持っていこうとする。
日本人が持っているこの国民性。
皆が一つになって協力して助け合うというこの性質は、他の国にはない、日本人の大きな能力である。
(「自分たちはまだ我慢できるから(他の困っている人から助けて)」という思いやりは、世界で見ると稀で大事な心、国民性だと思います。)
(そして、下記は、よく言われますが、よく確認すべき重要な性質だと思います。)
外国からは、穏便にとか、はっきりものを言わないと悪く言われもするが、その性質をいいように使えば、仲裁や和解に役立つ。
他の国の持っている自己中心的なところを和らげて、助け合う、分かち合うという心がつくれる。
この国民性が、第二次世界大戦のときは違った形で使われた。
(日中戦争に引けなくなっていった会議、では幹部がよく議論しないところがマイナスに作用し、また、ものを言わない、協力し、一つになる国民性が、間違った方向に使われてしまったという意味だと思います。。
民族やその特質は、使いようであり、他民族の評価だけに振り回されることなく、「自国民が」自らの歴史からその成功、失敗の特質を知ることが大切だと思います。)
本当の意味で上記の国民性をいいところを使えば、日本という国は、平和のリーダーシップをとっていける。だからこそ、改正は必要かもしれないが、戦争をしない、憲法9条を大事にして、生かすべきではないか。
(著作からは以上)
上記をふまえて、考えたことですが、
日本人が、あえて正面から相手を批判、攻撃せず、相手の気持ちを黙って最大限推し量って、丸く調和させようとする性質は、対立する国の仲裁、和解、団結に大きな力を発揮すると思います。
これはもっと日本人に認識されていいと思います。
そして、よく批判される日本の「あいまい」は、ごまかしではなく、(言葉によって安易に)相手の心を傷つけないようにという、思いやり、相手への愛情の意味があると思います。
それは、対応に柔軟性、遊び(ゆるみ)を持たせて、相手の思いや立場、存在を大事にするためにしていると思います。
(一方で国際的には、高圧的ならず、一方的に決めない、事実や懸念についてわかるように伝えていく必要があると思います。第二次大戦では、国連脱退や第一次上海事変など、自らを追い込み、対応を誤ったところがあると思いますので。)
日本人には、こちらと相手を見て冷静にことを進める繊細さがああり、それは仲裁者に必要な能力です。
また日本国憲法については、よく言われますが、日本のマッカーサーや、憲法を作ったチャールズ・ケーディスなどは、日本人が第二次大戦で発揮した、(特攻隊や突撃などで見られた)団結心と凶暴さを発揮しないように、そしてアジアでの覇権を再び求めないように、牙を抜くつもりで作成した部分はたしかにあると思います。
しかし、それは、諸状況の結果、日本という国の国力、性質、目指すべき方向に合っていたと思います。
日本人が、西洋に負けまいと、牙を抜かれたことだけを見て、負けまいと考える必要はないと思います。
なぜなら、戦後の日本の方が劇的に発展しましたし、競争するなら、資源、国力面をとっても、日本は最も不利だからです。
軍事や覇権という、圧倒的に不利な土俵で勝負をしても、勝負は見えています。
また、戦略面でも、日中戦争や真珠湾攻撃の判断など、内部から米側を利するような判断が行われ、すでに計略負けしているところがあり、相手をだますような勝負には、その精神風土からも、日本は勝てないと思うからです。
(そういう覇権の勝負に、日本は向いておらず、また、はめられる可能性が高いと思います。)
自国への侵略をとどめるための工夫は必要ですが、覇権や競争に入らず、基本的に丸腰で、他国の衣食住、生活の役に立つ方が、日本が必要不可欠な国になれると思います。
繊細な日本の場合、防衛費を各国にロビイングをする予算にまわす方が効果があるかと思います。
各国の利益や利便を仲介します。
そういう国には、脅しや圧力はかけにくくなります。
各国への利便でいえば、例えば、水や空気を汚さない技術、リサイクル、円滑な制度、保健、医療、低廉で万民のための衣食住インフラ、安定、安全な社会システムをつくり、各国に入り込み、国の維持に必要不可欠な国になることができます。
今の日本は、今後中国や世界が抱えるであろう「高齢社会」、「汚染社会」、「エネルギー」、「資源消費を最小限にする社会(リサイクル)」、「災害に強い社会」などに向け、全力を挙げてモデルや技術を確立すべきです。
このシステム確立に向けて日本という国家とその国民が一体になるべきです。
下記は、官民連携について、マハティール氏のコメントです。
政府と民間の連携はなんら悪いことだと思っていません。政府は積極的に民間に手を差し伸べるべきだ、というのが私の信念です。なぜなら、企業利益は税金という形で還元されるからです。民間を助けることは、政府自らを助けることになります。
規制を完全に撤廃すれば、地場の銀行や企業が倒産してしまうことは、火を見るより明らかです。
参考
日本人が自信を持ち、アジアの発展に貢献することの大切さについて (その1)より
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
日本人が自信を持ち、アジアの発展に貢献することの大切さについて (その2)
http://inorinowa2.blog.fc2.com/blog-entry-202.html
これを日本人が伸ばす意味は大きいと思います。
日本は、十年後の国家の繁栄のために、中国や特にアジアの国が陥るであろう、高齢化や汚染を回避する社会を作るべく、技術とシステムを作るべきです。
日本が国際社会で燦然と輝くなら、そういう方向だと思います。日本人はそういうビジョンを持つべきです。
戦前の、欧米に負けまいという(本当は日本人らしくない)執念・恨みにとらわれて、大陸に戦争をしかける場合ではありません。
もっと上の視点から、増加する人類が、いかに地球を害せずに生き延びるか、その仕組みの確立に官民一体で取り組むべきです。
そういうシステムを生み出しうる、外交の可能性も含めた日本人の特性、良さを、日本人が威張らずに再確認、発揮すべきです。
そのためには、日本人が不要な価値観に振り回されず、自己卑下や劣等感から解放される必要があると思います。
例えば、70,80年代に日本が経済力をつけた際、欧米から、「モーレツ社員」「ウサギ小屋に住む働き蜂」などと執拗に攻撃され、それに振り回されて、90年代以降「日本人の勤勉さ、秩序、生産性、熱心さ」を損なわせてきたと思います。
この方向性はおそらく今も続いており、働き方改革で休もう、人を出し抜いて自分だけ勝ち組になろうなどと言われて振り回されたら、日本人がばらばらになり、国として発揮できる力が損なわれると思います。
そこには、日本人の力を貶める意図はないのか、少し慎重に見てもいいと思います。
少し話はそれますが、郵政事業や農協の解体も、日本力の弱体化するという意味で、それと同列にあると思います。
それよりも、本当の良さを再確認し、日本人は、人々が一つになる団結心、思いやり(相手の心をおしはかる力)、同情心、横のつながりをより発揮するべきでなはいかと思います。以心伝心、心の民族といいますか。
それが日本人の円滑な連携を生むと思います。それで日本型経営が成功していたと思います。
日本人がばらばらになって久しいですが、その方向性を再評価し、力をつけていくべきだと思います。
そして、あくまで一例ですが、アインシュタイン氏が戦前の日本を訪れた時の日本人評を示します。
特に、ドイツ人との比較で、日本人が持つ特性が述べられています。
日本人が、欧米のみに遠慮深くなるのでなく、世界の人に対し配慮深くなれたらと思います。
(アインシュタイン氏 来日時の日本人評)
思いやりがあって気取らない。
嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。
われわれは、静かに生活をし、熱心に学び、親しげに微笑んでいる多くの日本人を目にします。だれもが己を出さず、その微笑みの背後に隠されている感情を見抜くことはできません。そして、われわれとは違った心が、その背後にあることがわかります。
もっとも気がついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。
我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極当然のことと思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。
日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれるひとつの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。(この姿勢は、仲裁をするためにも大切な姿勢だと思います。)
ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっても、一つ屋根の下に住んでも、厄介な軋轢や争いにならないで同居していることができるのです。この点で、ヨーロッパ人が非常に不思議に思っていた日本人の微笑みの深い意味が私には見えました。
個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか? 私にはそうは思えません。この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さゆえでありましょう。
今回の記事は以上ですが、今後、日本がめざすべき産業などについても、扱っていけたらと考えています。
また、下記のような官公庁が行っているパブリックコメントやその結果などについても取り扱っていけたらと考えています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
(重要)現在募集中のパブリックコメント 及びその結果の探し方について
http://369archive02.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
上記は、政治経済記事担当をしているA.Cによるものです。