地球や命の維持を考えることについて 2
- 2017/01/03
- 18:13
環境の大切さについて、わかりやすく話しているスピーチ動画がありますので紹介します。
地球を破壊することが、大人が言うように、ほんとうにしかたがないのか考え、下記の内容を、目の前の現実として捉えることが大切かと思いました。
動画
https://www.youtube.com/watch?v=N0GsScywvx0
1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)で、
12歳の少女セヴァン=スズキが行った「伝説のスピーチ」
こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(ECO: Environmental Children's Organization)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。あなたがた大人たちに、どうか生き方をかえて頂くよう、お願いするために、自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするのとは次元の違う問題なのです。
私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。それは、オゾン層に穴があいているから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。
私には小さいころからの夢がありました。
それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を見ることでした。でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配したことがありますか?
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。だから、せめて、「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。
あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。
だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。
ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、そして、報道関係者の人たちです。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。
そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが1つの大家族だということは、変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の人たちに伝える勇気を持ち続けています。
私の国での無駄使いは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。 カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。一人の子どもが私たちにこう言ったからです。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所をあげるのに。それから、やさしさと愛情もね。」
住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもさえ、自分のことだけでなく、みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、どうしてなんでしょうか?
この子ども達は、私と同じぐらいの年齢でした。私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。
もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。
小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたずけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、自分達はしているのですか?
みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、どうか、そのことだけは忘れないでください。そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためなのです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているのです。
親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子ども達をなぐさめます。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」と言いますよね。だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?
私のお父さんは、いつも、「人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」と言っています。でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。本当なのでしょうか?もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。
最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。
上記スピーチ文ですが、セヴァンさんによるその後の文章もありましたので、「あなたが世界を変える日」2003年4月セヴァン・カリス=スズキ著 から抜粋して示しておきます。(P42以降 一部中略しています)
スピーチが終わったとき、人々は立ちあがって泣いていました。人々の反応の激しさに私は驚くばかりでした。政治家、各国の代表、海上の人々まで目に涙をいっぱいためて、本当に大事なことをおもいださせてくれてありがとう、と私たちに言いました。
私のスピーチのビデオはさっそくサミット会場と国連じゅうで再放映されました。
私はロシアのゴルバチョフ大統領を肇、世界のリーダーや有名人と共に、地球憲章委員会のメンバーとなったのです。
それは、やろうと思えば、あなたにもできるということです。あなたの言いたいことを人々にきいてもらうことはほんとうに可能なのです。自分の自然への愛情が、結局どのような出来事を引き起こしていくかなんて、私だって夢にも思わなかったんですから。
私は、今は大学で生物学を学んでいます。
化学や生物システム論や進化論や生態学などを学ぶうち、科学というものが自然について私がすでに持っていた知識を補ってくれることに気づきました。
光合成について、また水の循環について、科学的に学べば学ほど、私の自然に対する畏敬の念は高まります。そして、学べば学ぶほど、人類がくるわせつつあるこの驚くべき自然界のバランスを回復するために努力しなくてはならないという私の信念は強くなるのです。
地球温暖化などの気候変動ほど、自然のバランスがおかしくなっていることをよく示しているものはたぶんないでしょう。大気汚染で多くの人が病気になり、死んでいます。動植物もすごいペースで絶滅しつつあります。
これらはみな私たち人類の生活の仕方に関係しているのです。私たちの暮らしは多くの点で持続可能ではありません。世界を破滅へ満ち見びくような生き方をつづけるなんてバカげています。
私たちが、このおそろしい流れをくいとめ、ひっくり返さなければなりません。
私たちは快適さを手放す必要はありません。アマゾンで私が体験してきたように、私たちを幸せにするのはモノではありません。より少なく所有すればするほど、私たちの暮らしはよくなります。
私たちはより自由になり、モノにとらわれて、それを追い求めなくてすむ分、働かなくてもよくなり、余暇もできます。そして、人生においてもっと大事なことがらをゆっくり考えるゆとりがでてきます。そのほうがずっと幸せではないでしょうか。
私は社会を変革するための行動はトップ・ダウンで上から起こるものではないと思っています。私たちは自分たちで変化を起こして行かなくてはなりません。私たちこそが「持続可能性(サスティナビリティ:将来の世代に必要なモノを犠牲にすることなく、現在の必要を満たすこと)」についての専門家にならなくてはいけないのです。これはとっても大きい課題ですが、やりがいのあるチャレンジです。
私たちはなにができるでしょうか?まず私たちにできることは「自然から学ぶ」ことです。そとに出ましょう!キャンプをしましょう!公園に散歩に行きましょう!
実は自然こそが「持続可能性」のほんものの専門家なのです。生態系のどの部分をとっても、全てのものが調和の中で動いていることに気づくはずです。システムのなかのすべての要素が持続可能性を維持するように動き、たがいにかかわりあって全体をつくっています。
自然と一体だという感覚を持ち続けることはほんとうに重要なことです。私たちが食べているもので、かつて生き物でなかったものがありますか。私たちは呼吸しないで数分と生きていられないでしょう?そうです。私たちは自然によって生かされているのです!
自分が知りもしないもののためにどうしていっしょうけんめいになれるでしょうか?アイしてもいないもののために、どうやってたたかえるでしょうか?
自然とのふれあいは、いくら主張してもたりないほど大切な権利です。私たちの前に未来がひろがっています。科学や環境運動や社会活動、はたまた芸術、ビジネス、家庭、大工仕事など、私たちはなんでも自分の選んだ分野の専門家になっていくのです。
自分の信念に従って、自分の選んだ分野で、何がいちばん大事かを忘れずに「持続可能性」への道を進むならば、私たちの力はものすごく大きなものとなって世界を変えることになるでしょう。
変化はかならず起こります。地球上の多くの地域では、すでに環境問題への取り組みが最優先の課題となっています。ヨーロッパにはたくさんのよい先例があります。
科学者の予測も厳しいものばかりですから、時には気が重たくなってくじけそうになることもあるかもしれません。でもそんなときには、私の話を思い出してください。環境について学んできたおかげで、最高におもしろい経験をすることができたんですよ!
ゴルバチョフ元大統領や、フリー・ザ・チルドレンのクレイグ・キルバーガーといった、すばらしいインスピレーションあふれる人びとに出会いました。
あなたが今抱いている興味や関心や決意が、どのような未来へと繋がっていくか、はかり知れません。そう、「持続可能性」に向けて活動していくことは、とても大きなチャレンジです。でもそれはこのうえなくやりがいのある仕事です。
あなたもこの大事な仕事に参加して、世界をよりよい場所へと変えていくことができるのです。ね、ワクワクするでしょ!
訳者あとがき 辻信一 中村隆市 より一部抜き書き
わずか6分のスピーチが、確かに、世界を変えることとなりました。あれから10年以上経った今、日本に住んでいるあなたが同じことばに耳をかたむけています。目には見えないくらいに少しずつではあるけれど、世界はたしかに変わってきています。
ひとりじめにしないで分け合うこと、ちらかしたものをかたづけること、うそをつかないこと、生き物を大切にすること、暴力ではなく話し合いで解決すること。
あたりまえのことがわからないでいるのは、おとなたちのほうなのです。今おとなたちの多くが、経済のためには環境問題や戦争が起こるのもしかたがない、と思っています。
切りすぎで森が少なくなり、とりすぎで魚が少なくなり、空気や土や水がいっそう汚れ、地球温暖化が進み、南極や北極の氷がとけて、海面が高くなり、動植物が次々に死に絶え、洪水や日照りや水不足が深刻になって争いがふえ、貧しい人々はもっと貧しくなり、食べものが不足して飢える人がふえる。
それもこれもみんな、経済のためには、豊かさのためには、便利さのためには、お父さんの仕事のためには、家族の生活のためには、だから、子どものためにはしかたのないことだったし、これからもしかたがない。おとなであるということは、そんなあきらめをもつようになること。そしてもうそれ以上、深く考えないようにすること。
「モモ」という物語を知っていますか。灰色の男たちのことばにだまされて、忙しくなり、仕事におわれて、家族も友だちもかえりみなくなります。モモという女の子だけが、灰色の男たちの招待を見抜いて、ぬすまれて時間を取り返すために活躍します。
セヴァンのように、私たちもあなたも、「しかたのないこと」がほんとうにしかたのないことなのかを、ひとつひとつ問いなおしていきましょう。川辺や砂辺がすべてコンクリートでかためられるのはしかがたないことなのか。ゴミがふえづづけ、森がきりり開かれ、虫や動物がすがたをけし、アレルギーがふえ、空気がよごれ、水が飲めなくなるのは、しかたのないことなのか。こどもの遊ぶ時間が少なくなり、おとなが働きすぎて病気になるのは、ほんとうにしかたがないことなのか、と。
豊かな自然の中で、北米や日本の子どもよりいきいきと楽しそうにしているのはいったいなぜだろう、と。川や海で遊び、森や山を歩き、魚つりをし、お弁当を広げ、どろんこ遊びをし、たき火をして歌い踊り、家族や友達とおしゃべりし、くつろぎ、笑う。
自然の中でのキャンプ、山のぼり、魚つり、ハイキング、ボート、カヌー、カヤック、スキー、スノボ、サイクリング、むしろ自分がすきなこと、ホッとすること、楽しいと思うことの中にこそ、世界を今よりもっとよい場所にしていくためのヒントがあると、彼女は感じているのです。
(セヴァンのスピーチについて)どんなにそれがささやかでちっぽけな変化に見えても、世界は、あなたのまごころや、ウラオモテのないことばや、行いによって、たしかに少しずつ良くなっていくのだということを示してくれました。
南米にこんなお話があります。山火事で森が燃えているとき、虫や鳥や動物たちはわれ先にと逃げていきました。しかしハチドリだけがいったりきたり、くちばしで水のしずくを運んでは、日の上に落としています。
大きなけものたちはそれをみて、「そんなことをしていったい何なるんだ」と笑います。ハチドリはこう答えました「私はわたしのできることをしているだけ」
問題の大きさや難しさを前にして気がくじけそうになったときには、セヴァンのことを想い出し、またこの本を手に取ってみてください。
ナマケモノ倶楽部代表 辻信一 中村隆市
本に掲載の 資料1 日本に住む私たちが果たすべき環境への責任 より一部抜粋
(原文:セヴァン・カリス=スズキ イェール大学学生環境連合)
資源の消費を控え、環境への負荷を減らすこと。
A いらないものを買う衝動を抑え、買ったときの環境と社会への影響を考えよう。
B 出すゴミの量を減らそう。
C 水のムダ使いをやめよう。
D リサイクルしよう。また、可能な限りリユース製品を買おう。
E 徒歩で、自転車で、または電車などの公共の乗り物で移動しよう。車に乗るならなるべく乗り合いで、または交代で。
F モノがどこでどんな風に作られているかを学び、人や自然に害のない生産の技術を応援しよう。
G 地域で、環境にやさしい方法で作られた食べ物を選ぼう。
2016年12月15日15時の祈り合わせの際の御言葉も、ここで示しておきます。
人の子らよ 善き流れとは どのようなものか
幾久しく 大切なる命達と共に 歩みゆきたいとゆうその想い
現実のものへと変えゆくためには
惜しみなきその働きが必要となることであろうに
命達と共に歩みゆくことは 人々の生活
根本から変えゆくことにも繋がりゆく
支え合い 守り合い 協力し合い 共に 切磋琢磨し
切り開き続けゆかなければならない
自然との環境の中に於いての人間
自然を重視し 地球を重視し どのように進みゆくか 計画を立て
自然と共に歩みゆく未来を しっかりと切り開きゆかなければならない
人が 忘れることなきように
還りゆく場所 還り来る場所この 星のことを
大地と共にあり続けよ
この星と共にあり続けよ
それが 人々が 生きゆく 生きゆける 大切なる 本(もと)となりゆく
上記はミロク会・政治経済記事を担当しているA.Cによる情報紹介記事です。(御言葉含む)
地球を破壊することが、大人が言うように、ほんとうにしかたがないのか考え、下記の内容を、目の前の現実として捉えることが大切かと思いました。
動画
https://www.youtube.com/watch?v=N0GsScywvx0
1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)で、
12歳の少女セヴァン=スズキが行った「伝説のスピーチ」
こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(ECO: Environmental Children's Organization)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。あなたがた大人たちに、どうか生き方をかえて頂くよう、お願いするために、自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするのとは次元の違う問題なのです。
私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。それは、オゾン層に穴があいているから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。
私には小さいころからの夢がありました。
それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を見ることでした。でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配したことがありますか?
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。だから、せめて、「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。
あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。
だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。
ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、そして、報道関係者の人たちです。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。
そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが1つの大家族だということは、変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の人たちに伝える勇気を持ち続けています。
私の国での無駄使いは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。 カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。一人の子どもが私たちにこう言ったからです。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所をあげるのに。それから、やさしさと愛情もね。」
住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもさえ、自分のことだけでなく、みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、どうしてなんでしょうか?
この子ども達は、私と同じぐらいの年齢でした。私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。
もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。
小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたずけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、自分達はしているのですか?
みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、どうか、そのことだけは忘れないでください。そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためなのです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているのです。
親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子ども達をなぐさめます。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」と言いますよね。だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?
私のお父さんは、いつも、「人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」と言っています。でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。本当なのでしょうか?もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。
最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。
上記スピーチ文ですが、セヴァンさんによるその後の文章もありましたので、「あなたが世界を変える日」2003年4月セヴァン・カリス=スズキ著 から抜粋して示しておきます。(P42以降 一部中略しています)
スピーチが終わったとき、人々は立ちあがって泣いていました。人々の反応の激しさに私は驚くばかりでした。政治家、各国の代表、海上の人々まで目に涙をいっぱいためて、本当に大事なことをおもいださせてくれてありがとう、と私たちに言いました。
私のスピーチのビデオはさっそくサミット会場と国連じゅうで再放映されました。
私はロシアのゴルバチョフ大統領を肇、世界のリーダーや有名人と共に、地球憲章委員会のメンバーとなったのです。
それは、やろうと思えば、あなたにもできるということです。あなたの言いたいことを人々にきいてもらうことはほんとうに可能なのです。自分の自然への愛情が、結局どのような出来事を引き起こしていくかなんて、私だって夢にも思わなかったんですから。
私は、今は大学で生物学を学んでいます。
化学や生物システム論や進化論や生態学などを学ぶうち、科学というものが自然について私がすでに持っていた知識を補ってくれることに気づきました。
光合成について、また水の循環について、科学的に学べば学ほど、私の自然に対する畏敬の念は高まります。そして、学べば学ぶほど、人類がくるわせつつあるこの驚くべき自然界のバランスを回復するために努力しなくてはならないという私の信念は強くなるのです。
地球温暖化などの気候変動ほど、自然のバランスがおかしくなっていることをよく示しているものはたぶんないでしょう。大気汚染で多くの人が病気になり、死んでいます。動植物もすごいペースで絶滅しつつあります。
これらはみな私たち人類の生活の仕方に関係しているのです。私たちの暮らしは多くの点で持続可能ではありません。世界を破滅へ満ち見びくような生き方をつづけるなんてバカげています。
私たちが、このおそろしい流れをくいとめ、ひっくり返さなければなりません。
私たちは快適さを手放す必要はありません。アマゾンで私が体験してきたように、私たちを幸せにするのはモノではありません。より少なく所有すればするほど、私たちの暮らしはよくなります。
私たちはより自由になり、モノにとらわれて、それを追い求めなくてすむ分、働かなくてもよくなり、余暇もできます。そして、人生においてもっと大事なことがらをゆっくり考えるゆとりがでてきます。そのほうがずっと幸せではないでしょうか。
私は社会を変革するための行動はトップ・ダウンで上から起こるものではないと思っています。私たちは自分たちで変化を起こして行かなくてはなりません。私たちこそが「持続可能性(サスティナビリティ:将来の世代に必要なモノを犠牲にすることなく、現在の必要を満たすこと)」についての専門家にならなくてはいけないのです。これはとっても大きい課題ですが、やりがいのあるチャレンジです。
私たちはなにができるでしょうか?まず私たちにできることは「自然から学ぶ」ことです。そとに出ましょう!キャンプをしましょう!公園に散歩に行きましょう!
実は自然こそが「持続可能性」のほんものの専門家なのです。生態系のどの部分をとっても、全てのものが調和の中で動いていることに気づくはずです。システムのなかのすべての要素が持続可能性を維持するように動き、たがいにかかわりあって全体をつくっています。
自然と一体だという感覚を持ち続けることはほんとうに重要なことです。私たちが食べているもので、かつて生き物でなかったものがありますか。私たちは呼吸しないで数分と生きていられないでしょう?そうです。私たちは自然によって生かされているのです!
自分が知りもしないもののためにどうしていっしょうけんめいになれるでしょうか?アイしてもいないもののために、どうやってたたかえるでしょうか?
自然とのふれあいは、いくら主張してもたりないほど大切な権利です。私たちの前に未来がひろがっています。科学や環境運動や社会活動、はたまた芸術、ビジネス、家庭、大工仕事など、私たちはなんでも自分の選んだ分野の専門家になっていくのです。
自分の信念に従って、自分の選んだ分野で、何がいちばん大事かを忘れずに「持続可能性」への道を進むならば、私たちの力はものすごく大きなものとなって世界を変えることになるでしょう。
変化はかならず起こります。地球上の多くの地域では、すでに環境問題への取り組みが最優先の課題となっています。ヨーロッパにはたくさんのよい先例があります。
科学者の予測も厳しいものばかりですから、時には気が重たくなってくじけそうになることもあるかもしれません。でもそんなときには、私の話を思い出してください。環境について学んできたおかげで、最高におもしろい経験をすることができたんですよ!
ゴルバチョフ元大統領や、フリー・ザ・チルドレンのクレイグ・キルバーガーといった、すばらしいインスピレーションあふれる人びとに出会いました。
あなたが今抱いている興味や関心や決意が、どのような未来へと繋がっていくか、はかり知れません。そう、「持続可能性」に向けて活動していくことは、とても大きなチャレンジです。でもそれはこのうえなくやりがいのある仕事です。
あなたもこの大事な仕事に参加して、世界をよりよい場所へと変えていくことができるのです。ね、ワクワクするでしょ!
訳者あとがき 辻信一 中村隆市 より一部抜き書き
わずか6分のスピーチが、確かに、世界を変えることとなりました。あれから10年以上経った今、日本に住んでいるあなたが同じことばに耳をかたむけています。目には見えないくらいに少しずつではあるけれど、世界はたしかに変わってきています。
ひとりじめにしないで分け合うこと、ちらかしたものをかたづけること、うそをつかないこと、生き物を大切にすること、暴力ではなく話し合いで解決すること。
あたりまえのことがわからないでいるのは、おとなたちのほうなのです。今おとなたちの多くが、経済のためには環境問題や戦争が起こるのもしかたがない、と思っています。
切りすぎで森が少なくなり、とりすぎで魚が少なくなり、空気や土や水がいっそう汚れ、地球温暖化が進み、南極や北極の氷がとけて、海面が高くなり、動植物が次々に死に絶え、洪水や日照りや水不足が深刻になって争いがふえ、貧しい人々はもっと貧しくなり、食べものが不足して飢える人がふえる。
それもこれもみんな、経済のためには、豊かさのためには、便利さのためには、お父さんの仕事のためには、家族の生活のためには、だから、子どものためにはしかたのないことだったし、これからもしかたがない。おとなであるということは、そんなあきらめをもつようになること。そしてもうそれ以上、深く考えないようにすること。
「モモ」という物語を知っていますか。灰色の男たちのことばにだまされて、忙しくなり、仕事におわれて、家族も友だちもかえりみなくなります。モモという女の子だけが、灰色の男たちの招待を見抜いて、ぬすまれて時間を取り返すために活躍します。
セヴァンのように、私たちもあなたも、「しかたのないこと」がほんとうにしかたのないことなのかを、ひとつひとつ問いなおしていきましょう。川辺や砂辺がすべてコンクリートでかためられるのはしかがたないことなのか。ゴミがふえづづけ、森がきりり開かれ、虫や動物がすがたをけし、アレルギーがふえ、空気がよごれ、水が飲めなくなるのは、しかたのないことなのか。こどもの遊ぶ時間が少なくなり、おとなが働きすぎて病気になるのは、ほんとうにしかたがないことなのか、と。
豊かな自然の中で、北米や日本の子どもよりいきいきと楽しそうにしているのはいったいなぜだろう、と。川や海で遊び、森や山を歩き、魚つりをし、お弁当を広げ、どろんこ遊びをし、たき火をして歌い踊り、家族や友達とおしゃべりし、くつろぎ、笑う。
自然の中でのキャンプ、山のぼり、魚つり、ハイキング、ボート、カヌー、カヤック、スキー、スノボ、サイクリング、むしろ自分がすきなこと、ホッとすること、楽しいと思うことの中にこそ、世界を今よりもっとよい場所にしていくためのヒントがあると、彼女は感じているのです。
(セヴァンのスピーチについて)どんなにそれがささやかでちっぽけな変化に見えても、世界は、あなたのまごころや、ウラオモテのないことばや、行いによって、たしかに少しずつ良くなっていくのだということを示してくれました。
南米にこんなお話があります。山火事で森が燃えているとき、虫や鳥や動物たちはわれ先にと逃げていきました。しかしハチドリだけがいったりきたり、くちばしで水のしずくを運んでは、日の上に落としています。
大きなけものたちはそれをみて、「そんなことをしていったい何なるんだ」と笑います。ハチドリはこう答えました「私はわたしのできることをしているだけ」
問題の大きさや難しさを前にして気がくじけそうになったときには、セヴァンのことを想い出し、またこの本を手に取ってみてください。
ナマケモノ倶楽部代表 辻信一 中村隆市
本に掲載の 資料1 日本に住む私たちが果たすべき環境への責任 より一部抜粋
(原文:セヴァン・カリス=スズキ イェール大学学生環境連合)
資源の消費を控え、環境への負荷を減らすこと。
A いらないものを買う衝動を抑え、買ったときの環境と社会への影響を考えよう。
B 出すゴミの量を減らそう。
C 水のムダ使いをやめよう。
D リサイクルしよう。また、可能な限りリユース製品を買おう。
E 徒歩で、自転車で、または電車などの公共の乗り物で移動しよう。車に乗るならなるべく乗り合いで、または交代で。
F モノがどこでどんな風に作られているかを学び、人や自然に害のない生産の技術を応援しよう。
G 地域で、環境にやさしい方法で作られた食べ物を選ぼう。
2016年12月15日15時の祈り合わせの際の御言葉も、ここで示しておきます。
人の子らよ 善き流れとは どのようなものか
幾久しく 大切なる命達と共に 歩みゆきたいとゆうその想い
現実のものへと変えゆくためには
惜しみなきその働きが必要となることであろうに
命達と共に歩みゆくことは 人々の生活
根本から変えゆくことにも繋がりゆく
支え合い 守り合い 協力し合い 共に 切磋琢磨し
切り開き続けゆかなければならない
自然との環境の中に於いての人間
自然を重視し 地球を重視し どのように進みゆくか 計画を立て
自然と共に歩みゆく未来を しっかりと切り開きゆかなければならない
人が 忘れることなきように
還りゆく場所 還り来る場所この 星のことを
大地と共にあり続けよ
この星と共にあり続けよ
それが 人々が 生きゆく 生きゆける 大切なる 本(もと)となりゆく
上記はミロク会・政治経済記事を担当しているA.Cによる情報紹介記事です。(御言葉含む)