中村 哲さんのアフガニスタン等での活動について その2(日本がやるべき支援)
- 2021/01/01
- 12:11
中村さんのコメントについて、示唆的ですので示します。2000年のテロ特措法成立前、同氏は、参考人招致で、「自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題」とし、議員の罵声を浴びる中、軍事力の派遣でなく、現地への食糧支援を訴えました。ミサイルや武器で相手国を攻撃しないこと、現地の人々の飢餓や貧困を解決することこそが、戦争や混乱からアフガン住民を救うとしています。今後、軍産複合体の影響がより強いと言...
中村さんのコメントについて、示唆的ですので示します。
2000年のテロ特措法成立前、同氏は、参考人招致で、「自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題」とし、議員の罵声を浴びる中、軍事力の派遣でなく、現地への食糧支援を訴えました。
ミサイルや武器で相手国を攻撃しないこと、現地の人々の飢餓や貧困を解決することこそが、戦争や混乱からアフガン住民を救うとしています。
今後、軍産複合体の影響がより強いと言われるバイデン氏が大統領になった場合、アジア人同士に武器を持たせ、争わせようとするかもしれませんが、日本は争いの当事者になることは避けつつ、あくまで市民の飢餓や貧困を救済していくというやり方は模索できると思います。
中村さんが、旧約、新約聖書の言葉に深くあたっていることがわかりますが、人間が得た教訓・知恵をとらえ、人としておごらず、自然と調和して、恵みに感謝すること。
そして、現地の人々の闘争心、嫉妬心などを許し続け、タリバンも排除せず話を聞きながら信頼を獲得していくことの大切さがわかります。
アフガン現地の状況について、本人のことばを抜粋したいと思います。(かっこはこちらで記載したものです)
洪水で破壊された水路について
いかに強く作るかよりも、いかに自然と折り合うかが最大の関心となった。
自然の理を知るとは、人間の技術の過信を知ることから始まる。
主役は人でなく大自然である。人はそのおこぼれに与って慎ましい生活を得ているに過ぎない。
山田堤を造った加賀百工は、農民の窮状に涙しただけではない。
この自然の脅威も知り尽くし、人為と自然、その危うい接点で知恵を尽くし、祈りを尽くしたのだ。
その祈りを抜きに技術を語るのは、臥竜点睛を欠くものだった。
やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。
人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる
摂理であり、恵みである。科学や経済、医療や農業、あらゆる人の営みが、
自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。
それがまっとうな文明だと信じている。その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、
大きな潮流とならざるを得ないだろう。
これが、三十年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。
アフガニスタンの干ばつと日本人の関心、価値観について
アフガニスタンが、2000年に未曽有の大干ばつに見舞われ、人口の半分以上が被災、400万人が飢餓状態、100万人が餓死、家畜の90%が死滅し、難民が発生した。
タリバン崩壊後、なんとなく落ち着いた錯覚を与えたまま、干ばつが続く。この重大な出来事がなぜ十分に知らされないのか。その無関心な心自体に私たちの世界の疲弊があるような気がしてなりません。
私たちは得てして自然の摂理を無視し、意のままに事を運べる「自由と権利がある」と錯覚しがちです。昨今、人間の分を超え、いのちを軽んじ、自然を軽んじる「欲望の自由」と「科学技術の信仰」が大手をふるって歩いているような気がしてなりません。
自分が、様々な人や出来事との出会い、それにどう応えるかで、行く末が定められていきます。誰であっても、無意味な生命や人生は、決してありません。私たちに分からないだけです。この事実が知ってほしいことの一つです。
現地30年の経験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。
人の陥りやすい人為の世界観を超え、人に与えられた共通の恵みを嗅ぎとり、この不安と暴力が支配する世界で、本当に私たちに必要なものは何か、不要なものは何かを知り、確かなものに近づく縁にしていただければ、これにすぎる喜びはありません。
餓死と、関連して水の大切さについて
「餓死」とは、空腹で死ぬのではない。食べ物不足で栄養失調になり、抵抗力が落ちる。そこに汚水を口にして下痢症などの腸管感染症にかかり、簡単に落命するのである。
若い母親が死にかけたわが子を胸に抱き、時には何日もかけて歩き、診療所を目指した。生きてたどり着いても、外来で列をなして待つ間にわが子が胸の中で死亡、途方に暮れる母親の姿は珍しくなかった。
その姿は、およそ子どもを持つ親なら涙を誘わずにはおれぬものであった。
こうして、「もう病気治療どころではない」と、診療所自ら率先して清潔な飲料水の獲得に。乗り出した。実際、病気のほとんどが、十分な食料、清潔な飲料水さえあれば、防げるものだったからである。
(井戸掘り事業を展開したが)この活動を可能にしたのは、日本人ワーカーたちのなみなみならぬ努力、日本側では、世の無関心をよそに、必死に実情を訴える事務局員たち、だ代の寄付もいとわぬ会員たちの財政的な支えがあった。
井戸掘削の人々の協力について
絶望的な状況に至っていた人々は、タリバン、反タリバンを問わず、こぞって(井戸掘削に)協力した。日本人青年たちは、地元の若い職員数十人を率いて、作業地をあっという間に拡大した。
伝統的な灌漑用水路「カレーズ」の復旧が手掛けられ、40本のうち38本を再生した。
砂漠化した田畑が短時間でよみがえり、約100の農家が帰農するという奇跡も起きた。
このとき、私自身が驚くほど、水の恵みの偉大さを知った。
しかし、干ばつに対する国際支援が動く気配はなかった。干ばつと飢餓は世界に知らされなかった。
(アフガンの)首都カブールでは、国際支援が与えられるどころか、欧米各団体が続々と撤退していた。
9.11と空爆について
9.11同時多発テロが発生。私たちは大規模な空爆を予想して、車両・機材を安全地帯に移動させ、薬剤は峡谷に移した。(移動の伝令を出し)ペシャワール(パキスタン)に家族のある職員はペシャワールに戻らせ、カブール市内に家族のある者はその意思に任せた。
(伝令を出すとき、現地の)長老らしき風貌の職員、タラフダール氏が立ち上がり、「皆さん、世界には二種類の人間がいるだけです。無欲に他人を思う人、そして己の利益を図るのに心がくもった人です。PMSはいずれか、お分かりでしょう。私たちはあなたたち日本人と日本を永久に忘れません。」これがすでに決別の辞であった。
(伝令後)家族をアフガン内に抱える者は、誰一人ペシャワール(パキスタン)に逃れようとしなかった。その粛然たる落ち着きと笑顔に、内心忸怩たるものを感ぜずにはおれなかった。
テロ特措法成立前の衆院特別委員会の参考人招致での中村氏の発言
「自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります。」
この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた議員が、突然ざわめいてヤジを飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた代議士が、発言の取り消しを要求した。
(大事な国策変更の際に、言論の自由が失われることに今後も注意です。)
「(自衛隊派遣で)対日感情は一挙に悪化するだろう。これは過去先輩たちが血を流して得た(平和主義という)教訓を壊すものである。」
「最後に、党を問わず、一人の父親、母親としての皆さんに訴える。くりかえすが、大干ばつと飢餓対策こそが緊急課題である。」
(参考人招致のあと)実際、戦争協力を厭い、耳を傾けてくれる人々も大勢いたのである。
会が「緊急食糧支援」を訴えると、かつてない反響が巻き起こった。
10月末までに目標額の2億円以上が寄せられ、2002年には6億円に迫った。
小麦粉と食用油を買い付け、空爆がはじまってしまったが、20名の職員が志願し、配給に携わった。(勇気と正義感をもって語ることが人の心を打つ例だと思います。)
現地の空爆について
日本ではまことしやかに報道された、「ピンポイント攻撃(テロリストの場所だけを攻撃して市民に被害を与えない)の実態は、無差別爆撃であった。
一地区を集中的に襲って人々が逃げると、今度は安全と思われた場所が襲われる。
市民たちは徒歩、タクシー、馬車で支柱を日夜逃げまどい、神経をすり減らした。
無論、多くの死者が出た。この戦そのものが、まったくの一方的な殺人ゲームの様であった。対するタリバン政権は、極貧の状態で、大した武器もなかった。軍事的にはほぼ無抵抗の者を相手に、戦争が演出されたといえる。(これは繰り返されかねないので、よく意識すべきと思います。)
(タリバン壊滅後)歓呼する市民たちの映像が流され、タリバンの圧政から解放と報道されたが、ほとんどの人にとっては、「争いません」という意思表示以外のものではなかった。
地域によっては、敵味方の旗が仲良く並んでいた。
それに空爆で多くの肉親が殺されたとあっては面白いはずがない。私もその一人だった。
世界が捏造と錯覚で成り立っていることに愕然とした。
いかに粉飾しようと、この戦争のツケは、暴力的報復としてやがて現れるだろう。
爆風で産卵した肉親の死体を拾い集め、良心の屍に取りすがって泣いていた子どもたちの姿が心に焼き付いて離れない。
彼らが長じたとき・・、不憫な思いとともに、うそ寒いものを感ぜざるを得なかった。
その後、「アフガン復興」と流れた映像は、外国人が出入りしやすい首都の一角に過ぎなかった。(実態は)首都カブールでは外国人相手の売春が横行し、空爆で稼ぎ手を失った寡婦の乞食が増え、麻薬の栽培、生産が急増。上流階級や外国人で華美な風俗がはびこり、心ある人々のひんしゅくを買った。高級ホテルの間近にあるスラムの海が広がった。
軍事派遣にかかる現地描写については、以上になります。
メディアが発する捏造と錯覚に振り回されず、自分の心で事実をとらえ、判断する大切さが書かれていると思います。
後日、中村氏の水源確保の詳細や、復興について記載したいと思います。
水源確保、その技術や、自然への向き合い方が、非常に実践的で参考になると思うからです。これから、水問題は、世界でももっとも大きな問題になっていきます。
技術を持つ国民が、人々を貧困や病気に困らないよう、現地の人々をリードし、無欲さ、真心を発揮し、信頼を得て、地域に水や緑を戻す。
日本人ならではの改善を続けながら、自然と共生する取組を、近くの国から、そして世界にぜひ広げてほしいとおもいます。
政治経済記事担当 知念敦
2000年のテロ特措法成立前、同氏は、参考人招致で、「自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題」とし、議員の罵声を浴びる中、軍事力の派遣でなく、現地への食糧支援を訴えました。
ミサイルや武器で相手国を攻撃しないこと、現地の人々の飢餓や貧困を解決することこそが、戦争や混乱からアフガン住民を救うとしています。
今後、軍産複合体の影響がより強いと言われるバイデン氏が大統領になった場合、アジア人同士に武器を持たせ、争わせようとするかもしれませんが、日本は争いの当事者になることは避けつつ、あくまで市民の飢餓や貧困を救済していくというやり方は模索できると思います。
中村さんが、旧約、新約聖書の言葉に深くあたっていることがわかりますが、人間が得た教訓・知恵をとらえ、人としておごらず、自然と調和して、恵みに感謝すること。
そして、現地の人々の闘争心、嫉妬心などを許し続け、タリバンも排除せず話を聞きながら信頼を獲得していくことの大切さがわかります。
アフガン現地の状況について、本人のことばを抜粋したいと思います。(かっこはこちらで記載したものです)
洪水で破壊された水路について
いかに強く作るかよりも、いかに自然と折り合うかが最大の関心となった。
自然の理を知るとは、人間の技術の過信を知ることから始まる。
主役は人でなく大自然である。人はそのおこぼれに与って慎ましい生活を得ているに過ぎない。
山田堤を造った加賀百工は、農民の窮状に涙しただけではない。
この自然の脅威も知り尽くし、人為と自然、その危うい接点で知恵を尽くし、祈りを尽くしたのだ。
その祈りを抜きに技術を語るのは、臥竜点睛を欠くものだった。
やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。
人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる
摂理であり、恵みである。科学や経済、医療や農業、あらゆる人の営みが、
自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。
それがまっとうな文明だと信じている。その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、
大きな潮流とならざるを得ないだろう。
これが、三十年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。
アフガニスタンの干ばつと日本人の関心、価値観について
アフガニスタンが、2000年に未曽有の大干ばつに見舞われ、人口の半分以上が被災、400万人が飢餓状態、100万人が餓死、家畜の90%が死滅し、難民が発生した。
タリバン崩壊後、なんとなく落ち着いた錯覚を与えたまま、干ばつが続く。この重大な出来事がなぜ十分に知らされないのか。その無関心な心自体に私たちの世界の疲弊があるような気がしてなりません。
私たちは得てして自然の摂理を無視し、意のままに事を運べる「自由と権利がある」と錯覚しがちです。昨今、人間の分を超え、いのちを軽んじ、自然を軽んじる「欲望の自由」と「科学技術の信仰」が大手をふるって歩いているような気がしてなりません。
自分が、様々な人や出来事との出会い、それにどう応えるかで、行く末が定められていきます。誰であっても、無意味な生命や人生は、決してありません。私たちに分からないだけです。この事実が知ってほしいことの一つです。
現地30年の経験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。
人の陥りやすい人為の世界観を超え、人に与えられた共通の恵みを嗅ぎとり、この不安と暴力が支配する世界で、本当に私たちに必要なものは何か、不要なものは何かを知り、確かなものに近づく縁にしていただければ、これにすぎる喜びはありません。
餓死と、関連して水の大切さについて
「餓死」とは、空腹で死ぬのではない。食べ物不足で栄養失調になり、抵抗力が落ちる。そこに汚水を口にして下痢症などの腸管感染症にかかり、簡単に落命するのである。
若い母親が死にかけたわが子を胸に抱き、時には何日もかけて歩き、診療所を目指した。生きてたどり着いても、外来で列をなして待つ間にわが子が胸の中で死亡、途方に暮れる母親の姿は珍しくなかった。
その姿は、およそ子どもを持つ親なら涙を誘わずにはおれぬものであった。
こうして、「もう病気治療どころではない」と、診療所自ら率先して清潔な飲料水の獲得に。乗り出した。実際、病気のほとんどが、十分な食料、清潔な飲料水さえあれば、防げるものだったからである。
(井戸掘り事業を展開したが)この活動を可能にしたのは、日本人ワーカーたちのなみなみならぬ努力、日本側では、世の無関心をよそに、必死に実情を訴える事務局員たち、だ代の寄付もいとわぬ会員たちの財政的な支えがあった。
井戸掘削の人々の協力について
絶望的な状況に至っていた人々は、タリバン、反タリバンを問わず、こぞって(井戸掘削に)協力した。日本人青年たちは、地元の若い職員数十人を率いて、作業地をあっという間に拡大した。
伝統的な灌漑用水路「カレーズ」の復旧が手掛けられ、40本のうち38本を再生した。
砂漠化した田畑が短時間でよみがえり、約100の農家が帰農するという奇跡も起きた。
このとき、私自身が驚くほど、水の恵みの偉大さを知った。
しかし、干ばつに対する国際支援が動く気配はなかった。干ばつと飢餓は世界に知らされなかった。
(アフガンの)首都カブールでは、国際支援が与えられるどころか、欧米各団体が続々と撤退していた。
9.11と空爆について
9.11同時多発テロが発生。私たちは大規模な空爆を予想して、車両・機材を安全地帯に移動させ、薬剤は峡谷に移した。(移動の伝令を出し)ペシャワール(パキスタン)に家族のある職員はペシャワールに戻らせ、カブール市内に家族のある者はその意思に任せた。
(伝令を出すとき、現地の)長老らしき風貌の職員、タラフダール氏が立ち上がり、「皆さん、世界には二種類の人間がいるだけです。無欲に他人を思う人、そして己の利益を図るのに心がくもった人です。PMSはいずれか、お分かりでしょう。私たちはあなたたち日本人と日本を永久に忘れません。」これがすでに決別の辞であった。
(伝令後)家族をアフガン内に抱える者は、誰一人ペシャワール(パキスタン)に逃れようとしなかった。その粛然たる落ち着きと笑顔に、内心忸怩たるものを感ぜずにはおれなかった。
テロ特措法成立前の衆院特別委員会の参考人招致での中村氏の発言
「自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります。」
この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた議員が、突然ざわめいてヤジを飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた代議士が、発言の取り消しを要求した。
(大事な国策変更の際に、言論の自由が失われることに今後も注意です。)
「(自衛隊派遣で)対日感情は一挙に悪化するだろう。これは過去先輩たちが血を流して得た(平和主義という)教訓を壊すものである。」
「最後に、党を問わず、一人の父親、母親としての皆さんに訴える。くりかえすが、大干ばつと飢餓対策こそが緊急課題である。」
(参考人招致のあと)実際、戦争協力を厭い、耳を傾けてくれる人々も大勢いたのである。
会が「緊急食糧支援」を訴えると、かつてない反響が巻き起こった。
10月末までに目標額の2億円以上が寄せられ、2002年には6億円に迫った。
小麦粉と食用油を買い付け、空爆がはじまってしまったが、20名の職員が志願し、配給に携わった。(勇気と正義感をもって語ることが人の心を打つ例だと思います。)
現地の空爆について
日本ではまことしやかに報道された、「ピンポイント攻撃(テロリストの場所だけを攻撃して市民に被害を与えない)の実態は、無差別爆撃であった。
一地区を集中的に襲って人々が逃げると、今度は安全と思われた場所が襲われる。
市民たちは徒歩、タクシー、馬車で支柱を日夜逃げまどい、神経をすり減らした。
無論、多くの死者が出た。この戦そのものが、まったくの一方的な殺人ゲームの様であった。対するタリバン政権は、極貧の状態で、大した武器もなかった。軍事的にはほぼ無抵抗の者を相手に、戦争が演出されたといえる。(これは繰り返されかねないので、よく意識すべきと思います。)
(タリバン壊滅後)歓呼する市民たちの映像が流され、タリバンの圧政から解放と報道されたが、ほとんどの人にとっては、「争いません」という意思表示以外のものではなかった。
地域によっては、敵味方の旗が仲良く並んでいた。
それに空爆で多くの肉親が殺されたとあっては面白いはずがない。私もその一人だった。
世界が捏造と錯覚で成り立っていることに愕然とした。
いかに粉飾しようと、この戦争のツケは、暴力的報復としてやがて現れるだろう。
爆風で産卵した肉親の死体を拾い集め、良心の屍に取りすがって泣いていた子どもたちの姿が心に焼き付いて離れない。
彼らが長じたとき・・、不憫な思いとともに、うそ寒いものを感ぜざるを得なかった。
その後、「アフガン復興」と流れた映像は、外国人が出入りしやすい首都の一角に過ぎなかった。(実態は)首都カブールでは外国人相手の売春が横行し、空爆で稼ぎ手を失った寡婦の乞食が増え、麻薬の栽培、生産が急増。上流階級や外国人で華美な風俗がはびこり、心ある人々のひんしゅくを買った。高級ホテルの間近にあるスラムの海が広がった。
軍事派遣にかかる現地描写については、以上になります。
メディアが発する捏造と錯覚に振り回されず、自分の心で事実をとらえ、判断する大切さが書かれていると思います。
後日、中村氏の水源確保の詳細や、復興について記載したいと思います。
水源確保、その技術や、自然への向き合い方が、非常に実践的で参考になると思うからです。これから、水問題は、世界でももっとも大きな問題になっていきます。
技術を持つ国民が、人々を貧困や病気に困らないよう、現地の人々をリードし、無欲さ、真心を発揮し、信頼を得て、地域に水や緑を戻す。
日本人ならではの改善を続けながら、自然と共生する取組を、近くの国から、そして世界にぜひ広げてほしいとおもいます。
政治経済記事担当 知念敦
中村 哲さんのアフガニスタン等での活動について(日本が今後やるべき民生支援 の大きな先例として) その1
- 2021/01/01
- 11:49
2021年、1月1日 新年あけましておめでとうございます。いつも記事を読んでいただきありがとうございます。今年も一生懸命、書いていきたいと思っていますので、どうかお読みいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。亡くなられて1年、テレビなどでも特集が組まれていた中村哲さんについて紹介します。ご存知の方も多いと思いますが、中村さんは、パキスタンに医師として赴任し、その後アフガニスタンへ移り住民...
2021年、1月1日 新年あけましておめでとうございます。
いつも記事を読んでいただきありがとうございます。
今年も一生懸命、書いていきたいと思っていますので、どうかお読みいただけたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
亡くなられて1年、テレビなどでも特集が組まれていた
中村哲さんについて紹介します。
ご存知の方も多いと思いますが、中村さんは、パキスタンに医師として赴任し、その後アフガニスタンへ移り住民のために、水源確保のための事業を行っていましたが、2020年12月4日に武装勢力に銃撃され、運転手らとともに亡くなられました。
その仕事や考え、思いは、日本人の進むべき方向に関して、大きな先例、具体例になると思いますので、その行動や考えについて、本人のコメントを中心に紹介したいと思います。
インターネット上の関連ページ
中村哲医師特別サイト 西日本新聞
https://specials.nishinippon.co.jp/tetsu_nakamura/
ペシャワール会 ホームページ
http://www.peshawar-pms.com/
内容は、主に「天、共にあり―アフガニスタン三十年の闘い」という本などからです。
これらの書籍類も、考える経緯や詳細の理解のためにおすすめします。
中村さんは、医者として84年にパキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病を中心とした貧困層の治療にかかわります。その後アフガン難民が発生したため、そのために診療所を開設し、患者を診療する中で、「病気のほとんどが、十分な食料、清潔な飲料水さえあれば、防げるものだ」と気づき、2000年からは診療活動と同時に、水源確保のために井戸掘削とカレーズ(地下水路)の復旧を行いました。
中村さんは、NGOのペシャワール会、現地医療団のPMS(平和医療団・日本)の総院長として、多くの発信、基金を募りながら、1600本の井戸を掘り、25キロにもわたる用水路を拓き、農地1万6500haをよみがえらせ、65万人の農民の命を救うという偉業を成し遂げています。
もちろん、PMSの事務局、スタッフ、募金者の志あっての活動だと思いますが、そのリーダーとして「住民・難民に水を供給し、農業で食べていけるようにする」という活動等を引っ張ってきた功績は大きいと思います。
一方で、現在、PMS(平和医療団)への募金を検索しても、国連のUNHCRが最初にヒットしてしまうこと、検索しようとすると「ペシャワール会 怪しい 批判」などの候補が上位で出てくることに、私などは、何かの意図を感じてしまいます。
私は、このような国際貢献のかたちを絶やさないために、人々が忘れないように意識した方がよいと思います。
今後、ペシャワール会などについて、タリバンとつながっているだとか、危険な紛争地に行くのは無責任だ、などの批判も出てくるかもしれません。
私としては、少なくとも中村氏らの取り組みは埋没させるべきではないですし、日本政府も、本当に人々の命、生活に役立つような取組を、企業、国民、政治家も特に資金や政策で連携していくべきだと思います。
国際貢献、外からはなかなか見えにくい利権も、特に戦後あるかと思います。それを変えようとするものは、何らかの攻撃を受ける可能性が高いです。
支援については、国連と比較するとわかりやすく、平和医療団と検索して1番目にヒットする国連のUNHCRは、現地の人が自分で食べていけるような支援というより、毛布、衛生キット、学校教育など、企業生産物をわたす利権の色合い、もっというと、地域をつくる関与(教育やインフラなど)が続けられる内容となっています。よく見ると、入植が理由でないかと思われる支援も見られます。
大国が、戦勝国の覇権を維持するような面はたしかにあると思います。
日本の支援には、植民地政策的なものに流されず、地域住民をしっかり安全に食べさせる、それには打算的な策略でなく、むしろ無欲といえるような相手本位で考えること、愛が必要だと思います。
私は、日本人の税金から、年に約1兆5千億円流れている外務省のODA(政府開発援助)について、中村さんたちのような、「(水源確保など)現地の人を自力で食べていける」事業にもっと使ってもらうことはできないだろうかと思います。
(ODAやJICAは、日本が敗戦後、経産省が外務省を隠れ蓑にした、世界戦略という面はたしかにあると思いますが、それが21世紀の今、中国にマネされており、謀略系でなく、住民の立場に立って質的に異なる貢献し、信頼を獲得するシステムを作るべきです。そこには、無欲さ、真心が必要だと思います。
そこを変えられるか、脱皮できるかどうかに、日本の評価や運命はかかっていると思います。
日本のODAなどについて、「海外企業を使うべきだ、アフリカに資金を!」などと批判されているようです。
しかし、私としては、大国の世論誘導や圧力に流され、排出権や、海外グローバル企業や軍事競争に資金を拠出するよりは、国策として、日本企業を優先し、東南アジアなど近隣からどんどん貢献してよいと思います。
その技術力がもたらす波及効果、日本国がそういう企業を育てる好循環を生むと思うからです。それは国益ともマッチします。米中が、従来型の覇権を争う中、日本はもっと主体的で質的に異なる国際貢献を行うべきだと思います。
日本の貢献力育成のために、各国の人々をまず食べていかせる貢献をする方がよいと思います。そして各国の発展を促し、互いが所得や市場の拡大に貢献できる国になる。
心から通じ合った仲間や支援者を増やしていくこと、そこには尊敬されるようなモラルが必要だと思います。
日本人が、とり続けるのでなく、相手に貢献すること、欲を超えることだと思います。
政府は、国家戦略のヒントとして、これまでの国際貢献のスタイルを超え、地元に貢献してきたペシャワール会などの団体を評価し、方針決定に参画させるべきです。
ペシャワール会は、これまでの発信の努力もあり、年に2億円ほどの募金を集めているそうです。一方の外務省ODAは年に1兆5千億円、実に、7500倍ものお金が、税金から投じられています。
これまでのしがらみや伝統があるのはわかりますが、今こそ方針を改め、無欲に海外で活動している人たちや団体の知恵を借り、ODAやJICA協力金などの使途を再構成していくべきではないでしょうか。誰かが政治的に思い切って行えば、日本の所得や地位は向上して、あれでよかったとなると思います。
今のようなどこか血の通っていないような、イメージ写真で表されるような貢献は変えた方がよいと思います。もっと一緒になり、泥臭く関わった方がいいです。
また、外務省と財務省のJICA有償資金協力も、ほぼ同額の約1兆4千億円が投じられています。このような資金使途も、もっと地元の人を見て活動実績ある人の考えにも基づき、使い、貢献すべきと考えます。
その2に続きます。
政治経済記事担当 知念敦
いつも記事を読んでいただきありがとうございます。
今年も一生懸命、書いていきたいと思っていますので、どうかお読みいただけたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
亡くなられて1年、テレビなどでも特集が組まれていた
中村哲さんについて紹介します。
ご存知の方も多いと思いますが、中村さんは、パキスタンに医師として赴任し、その後アフガニスタンへ移り住民のために、水源確保のための事業を行っていましたが、2020年12月4日に武装勢力に銃撃され、運転手らとともに亡くなられました。
その仕事や考え、思いは、日本人の進むべき方向に関して、大きな先例、具体例になると思いますので、その行動や考えについて、本人のコメントを中心に紹介したいと思います。
インターネット上の関連ページ
中村哲医師特別サイト 西日本新聞
https://specials.nishinippon.co.jp/tetsu_nakamura/
ペシャワール会 ホームページ
http://www.peshawar-pms.com/
内容は、主に「天、共にあり―アフガニスタン三十年の闘い」という本などからです。
これらの書籍類も、考える経緯や詳細の理解のためにおすすめします。
中村さんは、医者として84年にパキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病を中心とした貧困層の治療にかかわります。その後アフガン難民が発生したため、そのために診療所を開設し、患者を診療する中で、「病気のほとんどが、十分な食料、清潔な飲料水さえあれば、防げるものだ」と気づき、2000年からは診療活動と同時に、水源確保のために井戸掘削とカレーズ(地下水路)の復旧を行いました。
中村さんは、NGOのペシャワール会、現地医療団のPMS(平和医療団・日本)の総院長として、多くの発信、基金を募りながら、1600本の井戸を掘り、25キロにもわたる用水路を拓き、農地1万6500haをよみがえらせ、65万人の農民の命を救うという偉業を成し遂げています。
もちろん、PMSの事務局、スタッフ、募金者の志あっての活動だと思いますが、そのリーダーとして「住民・難民に水を供給し、農業で食べていけるようにする」という活動等を引っ張ってきた功績は大きいと思います。
一方で、現在、PMS(平和医療団)への募金を検索しても、国連のUNHCRが最初にヒットしてしまうこと、検索しようとすると「ペシャワール会 怪しい 批判」などの候補が上位で出てくることに、私などは、何かの意図を感じてしまいます。
私は、このような国際貢献のかたちを絶やさないために、人々が忘れないように意識した方がよいと思います。
今後、ペシャワール会などについて、タリバンとつながっているだとか、危険な紛争地に行くのは無責任だ、などの批判も出てくるかもしれません。
私としては、少なくとも中村氏らの取り組みは埋没させるべきではないですし、日本政府も、本当に人々の命、生活に役立つような取組を、企業、国民、政治家も特に資金や政策で連携していくべきだと思います。
国際貢献、外からはなかなか見えにくい利権も、特に戦後あるかと思います。それを変えようとするものは、何らかの攻撃を受ける可能性が高いです。
支援については、国連と比較するとわかりやすく、平和医療団と検索して1番目にヒットする国連のUNHCRは、現地の人が自分で食べていけるような支援というより、毛布、衛生キット、学校教育など、企業生産物をわたす利権の色合い、もっというと、地域をつくる関与(教育やインフラなど)が続けられる内容となっています。よく見ると、入植が理由でないかと思われる支援も見られます。
大国が、戦勝国の覇権を維持するような面はたしかにあると思います。
日本の支援には、植民地政策的なものに流されず、地域住民をしっかり安全に食べさせる、それには打算的な策略でなく、むしろ無欲といえるような相手本位で考えること、愛が必要だと思います。
私は、日本人の税金から、年に約1兆5千億円流れている外務省のODA(政府開発援助)について、中村さんたちのような、「(水源確保など)現地の人を自力で食べていける」事業にもっと使ってもらうことはできないだろうかと思います。
(ODAやJICAは、日本が敗戦後、経産省が外務省を隠れ蓑にした、世界戦略という面はたしかにあると思いますが、それが21世紀の今、中国にマネされており、謀略系でなく、住民の立場に立って質的に異なる貢献し、信頼を獲得するシステムを作るべきです。そこには、無欲さ、真心が必要だと思います。
そこを変えられるか、脱皮できるかどうかに、日本の評価や運命はかかっていると思います。
日本のODAなどについて、「海外企業を使うべきだ、アフリカに資金を!」などと批判されているようです。
しかし、私としては、大国の世論誘導や圧力に流され、排出権や、海外グローバル企業や軍事競争に資金を拠出するよりは、国策として、日本企業を優先し、東南アジアなど近隣からどんどん貢献してよいと思います。
その技術力がもたらす波及効果、日本国がそういう企業を育てる好循環を生むと思うからです。それは国益ともマッチします。米中が、従来型の覇権を争う中、日本はもっと主体的で質的に異なる国際貢献を行うべきだと思います。
日本の貢献力育成のために、各国の人々をまず食べていかせる貢献をする方がよいと思います。そして各国の発展を促し、互いが所得や市場の拡大に貢献できる国になる。
心から通じ合った仲間や支援者を増やしていくこと、そこには尊敬されるようなモラルが必要だと思います。
日本人が、とり続けるのでなく、相手に貢献すること、欲を超えることだと思います。
政府は、国家戦略のヒントとして、これまでの国際貢献のスタイルを超え、地元に貢献してきたペシャワール会などの団体を評価し、方針決定に参画させるべきです。
ペシャワール会は、これまでの発信の努力もあり、年に2億円ほどの募金を集めているそうです。一方の外務省ODAは年に1兆5千億円、実に、7500倍ものお金が、税金から投じられています。
これまでのしがらみや伝統があるのはわかりますが、今こそ方針を改め、無欲に海外で活動している人たちや団体の知恵を借り、ODAやJICA協力金などの使途を再構成していくべきではないでしょうか。誰かが政治的に思い切って行えば、日本の所得や地位は向上して、あれでよかったとなると思います。
今のようなどこか血の通っていないような、イメージ写真で表されるような貢献は変えた方がよいと思います。もっと一緒になり、泥臭く関わった方がいいです。
また、外務省と財務省のJICA有償資金協力も、ほぼ同額の約1兆4千億円が投じられています。このような資金使途も、もっと地元の人を見て活動実績ある人の考えにも基づき、使い、貢献すべきと考えます。
その2に続きます。
政治経済記事担当 知念敦